3月初めのこと、ケンタッキーに住む娘から電話があった。
 いつもと違う時間帯の電話にいぶかしみつつ受話器を取ると、心細そうな声で「今、竜巻警報が出てるの」。職場も早々に休業となり、自宅に戻ってきたという。かの地に移り住んでまだ数年。自宅で息を潜めて時を過ごすのは初めての、彼女の不安がずんと伝わって来る。
 「街に警報のサイレンが響いて。ものすごい風と雨で、庭は水浸しよ」。気温は一気に華氏70度にまで上がったが、その後は再び40度位に下がるのだという。映画「ツイスター」で見た情景が思い浮かぶ。娘から電話のあった翌朝の新聞は、竜巻による死者が5州で30人に上ったと報じた。彼女の家から40 マイル離れた小さな町は全壊したという。
 東日本大震災から丸一年を過ぎて数日後の月半ばには、千葉沖を震源とするマグニチュード6の地震。千葉でひとり暮らす従姉妹に地震見舞いのメールを送ると、「近くだったせいか、下から突き上げるような揺れでした。無意識のうちにストーブを消していました。ここ毎日のように地震が起きるので不安です」と返信があった。
 自然の猛威の前にあっという間にすべてが破壊されるのは、竜巻も地震も同じ。そして、竜巻も地震もそして津波も、人間の力ではその発生の防ぎようが無い。これほどに人間社会が栄え、科学が発展していても。
 普段はそんなことを意識せずに、日々、身の回りの小さなことに悩みながら生きているが、ひとたび地が動き、波に襲われ、風にさらわれることを見聞きすると、気まぐれともみえる地球の大きな営みの下で私たち人間は生かされおり、死んでいくのだということを、厭というほど思い知らされる。ちょうど、お釈迦様の掌の中で孫悟空が一生懸命走り回ったように。
 人に出来ることは、地震に備えて耐震性の建物を建て、津波に備えて避難場所を定め、竜巻に備えて地下室を作るなどの対策と、災害予測の研究だけだろう。せめて「近い将来、関東に大きな地震が起きる」との予測は外れてほしいと願いながら、「生かされて生きていく」という言葉を思い浮かべている。【楠瀬明子】

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