引退祝賀会で、パワーポイントを使いあいさつをするビル・ワタナベ氏

1980年のLTSC創立時のメンバー。左から坂本安子さん、ビル・ワタナベ氏、エブリン・ヨシムラさん

 6月30日付けで退職するリトル東京サービスセンター(LTSC)の創設者で所長のビル・ワタナベ氏の退職を祝う式典が19日、ロサンゼルス・ダウンタウンのボナベンチャーホテルで盛大に催された。
 会場には、ワタナベ氏の家族やLTSCの従業員、ボランティアをはじめ、日系社会のみならずロサンゼルス・コミュニティーの著名人ら総勢760人が参加。1980年のLTSC創設以来、32年間におよぶコミュニティーへの多大なる貢献と尽力に感謝するとともに、変化を恐れず、時代の流れに合わせた事業展開をリードし続けたそのリーダーシップと起業家精神を称え、同氏の第二の人生のスタートをともに祝った。
 会場では、ワタナベ氏がLTSC創設当初から一緒に働くソーシャルワーカーの坂本安子さんと、事務員のエブリン・ヨシムラさんはじめ、アラン・ニシオ理事や同氏の後任として所長に就任したディーン・松林さんら大勢があいさつするとともに、LTSCスタッフらから感謝のビデオが放映された。
参加者に感謝の言葉を述べるワタナベさんの娘ナタリーさん(手前)と妻のルースさん

 お礼のあいさつに立ったワタナベ氏は、「一つお願いがあります。これから私は自慢話をしますが、どうか、辛抱強く聞いてください。日系人として『謙虚に』と言われて育ち、またクリスチャンとして『物事を自分の手柄にするな』と言われて育ってきたので、めったに自慢話はしないのですが、今日は理解してもらえたら」と謙虚に述べ、「せっかく自慢話をするのだから」とパワーポイントを用意したと話すと、会場は大きな笑いに包まれた。
 資金があまりなかった中、坂本さんとヨシムラさんを迎え3人でコミュニティーのために従事できることに喜びを感じ、日々業務に励んでいた創設当時から、低所得者用住宅の建設、小東京の歴史継承、アジア系やマイノリティーのための骨髄バンク支援団体「A3M」の設立、アジア系コミュニティーの連帯など、時代の流れに沿った事業拡大と、150人もの従業員を抱えるまでに成長したその32年間を振り返った。そして参加者に感謝するとともに、ヤンキースの名打者ルー・ゲーリック選手の名言を引用し、「自分は地球上で一番幸せ者だ」とスピーチを締めくくった。【中村良子、写真も】
 
ビル・ワタナベ氏
 同氏は、第二次大戦中にマンザナー日系人収容所で生まれ、サンファナンドバレーで育つ。加州立大学ノースリッジ校卒業後、民間企業での就職を経て早稲田大学国際部に1年間留学、日本の文化と歴史を学んだ。帰国後はカリフォルニア大学ロサンゼルス校で社会福祉を学び、修士号を取得後、日系パイオニアセンターで二世プロジェクトの責任者として勤務した。
 1980年1月にLTSCを設立。以来、在留邦人および日系人に対する社会福祉サービスおよび臨床心理相談サービスの実施、在留邦人を含む一般市民に対する日系人社会の歴史、文化遺産の保存、伝承などを行うとともに、小東京の再活性化策として、「豆腐フェスティバル」を開催。日本の食生活・文化の米国の一般社会への紹介に貢献。同氏のもとで同センターは規模を拡大し、現在では150人の職員を雇用し、毎年数千件のサービスを提供する機関となっている。
 また、小東京の歴史と文化の保存にも携わり、94年のノースリッジ地震の後には同氏が先頭に立って崩壊の危機にあった歴史的建造物の修復にあたった。さらに同氏の発案による「ロサンゼルス武道館」の建設が2014年にも着工を予定しており、日本文化の普及、発展に資することが期待される。

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