「運は天に在り」は戦国時代、越後の龍ともいわれた上杉謙信公が残した「春日山城壁書」冒頭の一節だ。人の運は天命によるもので、人間の力ではどうすることもできないという意味だが、これには続きがあり、「運命が天命とはいえ、戦において生き抜き、勝利することは自らの信念や行動により決まるものだ。武士なら自らの進むべき道は、自らで考え、行動してこそ生まれる。運命には逆らえないと思うのは間違いで、武士であるなら自分が進むべき道はこれ以外にないと覚悟して、自分で自分の運命を決めるべきである」といった内容だ。
「運は天に在り」に似た表現に「運否天賦(うんぷてんぷ)」がある。これも運の良し悪しは、すべて天が采配するものであるという意味に使われる。だが、どちらの表現も、考えようによっては、逆に運の良し悪しはその人の考え方、行動ひとつでどうにでもなる、ともいえそうだ。
日本の週刊誌に興味を引く記事がでていた。20代から40代の男性300人に、「運」に関するアンケートを行なったところ、自分のことを「運がいい」と思っている人は、どの世代もせいぜい20%なのだそうだ。この記事の中で、宗教人類学者(植島啓司氏)の解説によると、この結果は仕方のないことかもしれないとのこと。例えば、飛行機が落ちたら誰もが「不幸」だというが、無事着陸したからといって「運がよかった」とは感じない。おそらく「あたりまえ」と思うだろう。つまり、運が目に見える時は、悪いことのほうが圧倒的に多いという。
「あたりまえ」のことは本来、感謝すべきことなのに、私たちはそれを忘れているのだ。「あたりまえ」のとらえ方をちょっと変えるだけで、人生の見方を大きく変えることができることを示唆している。
特に悪いことが起こらないから自分は運がいいと考えるか、いいことが何も起きないから不運と考えるかの違いで、この差は大きい。
運命とは、その大前提として、自らで考え行動し、最大限の努力をしたのちに、最後に従う天命であり、どんな結末に至っても最後は納得すべきもの、といってよいだろう。【河合将介】