開国以降、これまでに日本に住み着いた外国人は数知れない。
2005年に刊行された名著『逝きし世の面影』(渡辺京二著)にはそれら外国人たちの観察した日本がビビッドに再現されている。
そして今、また「外国人」が綴ったメモアールが相次いで出ている。シアトル在住のジャーナリスト、レスリー・ヘルム氏が著した『Yokohama Yankee』もその一つだ。
同氏は、100余年前に横浜に住み着いたドイツ系アメリカ人、ジュリアス・ヘルム氏(1840—1922)のひ孫にあたる。
日露、日清戦争、第一次大戦、第二次大戦を生き抜いてきたヘルム一族の波乱万丈の物語は、「日本人の知らない、もう一つの日本」を見事に浮かび上がらせている。が、読み進んでいくうちに、これは著者の「自分探しの覚書」だということに気づく。
ジュリアス氏は小宮ヒロさん(1854—1904)と結婚し、三男一女をもうけた。一族には大和民族の血が流れ込む。その血は、著者にも受け継がれている。「いったい自分はなに人なのか」。アメリカに移り住んでも自問自答は続く。
同氏は、生粋のハマっこ。横浜のインターナショナル・スクールを出ると、「帰米」し、父親の母校でもあるカリフォルニア大学バークレイ校に進む。そこで、バスク系アメリカ人女性(現在ワシントン大学教授)と知り合い、結婚する。
子宝に恵まれなかったヘルム夫妻は、アメリカ人の子ではなく、日本人の女の子と男の子を養子にする。一族の五代目は、「純血日本人」によって受け継がれていくのだ。
「(日本人を養子にしたことで)日本をより大切に思うようになった。ヘルム一族の人たちがより愛おしく思えるようになった。日本のCulture(文化、教養、洗練、培養されたもの)は、私の人生を計り知れないほど豊かにしてくれた。私の運命と日本とは切っても切れない固い絆を結び、未来永劫続くのだ。なぜなら、日本人の血が流れている子供をわが娘、息子にしたのだから」
ヨコハマ・ヤンキーは、やはり「日本人」だった。【高濱賛】