2002年から通算5年間、北米沖縄県人会会長を務めた。沖縄文化の原点であり、正しい歴史や伝統文化の理解にも欠かせない沖縄語が、絶滅の危機に瀕している現状に危惧し「ウチナーグチ(沖縄語)教室」を開設した。さらに、県人会の基盤を築いた1、2世に敬意を表し、会員の高齢化に対応し「高齢者クラブ」を設置。また、講演会を開催して中高生、大学生や大学教授、一般を対象に琉球の歴史や沖縄語の講義を行い、沖縄文化に対する学習に力を注いだ。
06年に沖縄県で開催された第4回世界のウチナーンチュ(沖縄の人)大会において、米国と沖縄との懸け橋の役割を担う「新ウチナー(沖縄)民間大使」に認証された。09年には会長在任中に、北米沖縄県人会創立100周年記念の一環行事を1年を通して挙行し、成功に導いた。
02年に、南加県人会協議会に入会、同年に理事に就任。05年から3年間、書記を07年から4年間、副会長を務めた後、11年に会長就任。会長在任中に東日本大震災が起こり、被災地の復興支援の義援金募集活動に全力を注いだ。
表彰式では、総領事と柴邦夫さんが祝辞を述べた。各人が比嘉さんの各分野での功績を誉め、さらなる活躍に期待を寄せた。
総領事は「日系社会から厚い信頼を受けていて深く敬意を表したい」とねぎらった。比嘉さんの数々の活躍を列挙し「特に沖縄文化普及へのたゆみない尽力は、当地の日本の多文化性という意味で、たいへん重要な役割を果たしたと確信している」と賛辞を呈した。柴さんは「比嘉さんの誠実さ、謙そんさを尊敬している」と、日系社会全体の声を代弁するかのように、真面目で控えめな性格を言い表した。「教育熱心で沖縄県人会会長の時に沖縄語教室を開き、講師を熱心に務めている。信念を持って12年もの間、教え続けている。心からお祝いを述べたい」と、たたえた。
表彰式に参加した比嘉さんと同郷の当銘貞夫さんは、同県人会でともに活動する。同士の表彰を「真しに物事にあたり、何事も一生懸命する。各分野でリーダーシップを発揮し、尊敬している。ウチナーンチュみんなのロールモデルであることは間違いない」と称賛。ウチナーグチについては「教え方がうまく、日本語と英語を交え、分かりやくウチナーグチを教え、長く継続していて頭が下がる」と述べた。
比嘉さんは、日系社会の仲間から祝福を受け「決して私1人でもらったのではない。大勢の人と家族の支援のおかげで、自分の体が許す限り頑張りたい」と意欲を示した。沖縄語教室については、沖縄を知らない4世が、沖縄に興味を持ち自身のアイデンティティー探求のために沖縄に行くことが何よりもうれしいといい「開講してよかった。今日まで続けてきた甲斐があった」と感慨深げに話した。来年、県人会協議会が創立50周年を迎え、その実行委員長を任された。9月の祝賀記念式典開催と記念誌発行に意欲を示す。大きな節目は「県人会協議会と県人会の在り方を考えるいい機会である。100年に向かってみんなで頑張りたい」と抱負を述べた。【永田潤、写真も】