恒例の歳末助け合い募金活動に参加した。10年になる。日系スーパーの前で声を張り上げ募金をつのる。初めは恥ずかしいが、回数を積むと何事にも慣れるものだ。次第にどうしたら効果的に募金が集まるか、工夫するようになる。通り過ぎる人の目を一人ひとり捉え、一度に一人、誠心誠意、お願いする。相手だけに目を向けた、一生懸命な嘆願には反応がある。その時は知らん顔で通り過ぎても、買い物が終わった時にはちゃんと1ドル札をもって、帰って来てくれる。こんな時は格別うれしい。
もう一つの目的もある。市場調査といえば大げさだが、日系スーパーに来る買い物客の人種の変化を知ることも。
10年前は圧倒的に日本人だった。その後、日本経済の低迷とともに在米日本企業が支店を次々に閉めた。駐在員数がめっきりへった。われわれには不思議なもので、外見だけで東南アジアの何処の国の人と見分けがつく。今は買い物客の日本人の割合は半分を切った感がある。日本食は世界遺産にまで指定されようという昨今である。世界の人たちに日本食が普及するのはうれしいが、反対に在LAの日本人数の減少は力の衰えを感じて寂しい。
今年も気にかかったのは街頭で物乞いをする人の多さである。働き盛りの普通の身なりの白人男性が立っている。あちらにも、こちらにも。子供づれの家族も。親はどうやって子供に話したのだろう。胸がつまる。あらゆる援助機関を訪れた末の切羽つまった行動であるはずだ。ニュースでは景気は上向き、雇用数も上昇していると伝えている。だが、現実に毎日見ている風景は背筋が凍る。
クリスマスソングの流れるモールは買い物客で賑わっている。品数は以前より少なく、高級なものは影を潜めているが、それでも少し安心する。
非常時の蓄えを確保し、他人のお世話にならなくてもいいよう自己管理をする。その上で、ほんの少しでも誰かを助ける行動をしたい。余裕のある人が財布の紐をあまりに締めすぎると、経済は回らなくなる。献金をする、物を買ってあげる。自分にできる単純な行動で社会の一員である責任を果たしたい。【萩野千鶴子】