言葉は時に、刃物も及ばない力を宿していることがある。
 刃物で傷ついた痛みは、傷が癒えれば消えるが、言葉で傷つけられると、人間には記憶という厄介なものがあるだけに、いつまでも後を引く。
 先日友人が知人との3分足らずの立ち話で、大層侮辱を受けたと大変な怒りよう。まあまあ、となだめて、「本人はあなたを馬鹿にしたわけでもないでしょう。うっかり口が滑っただけで、本人はそれほど深く考えての話ではなかったはず…」と、とりなそうとしたのが悪かった。
 面と向かって「いい加減な人を相手に、いい加減な仕事をしている」というような内容だったらしい。
 いつも冗談だか本気だか分からない言い方で、常時他人をこき下ろしている人だから、聞き流しなさいと言ったつもりだが、言われた本人にとってはそう簡単に聞き流せる問題ではなかったようだ。
 私の取り成しが、火に油を注いだようで、怒り心頭。
 「冗談であんな言い方ができますか。良い仕事をする人だから、そこそこ尊敬もしていたのに、がっかりよ。これであの人の中身がうかがえるわ。私はいつも真剣に仕事に取り組んでいるつもりよ。いい加減なことをした覚えはありませんよ。他人の仕事の裏の努力も知らないで、けなすなんて思い上がりですよ」
 まったくそのとおり。
 友人は、自分の言葉に励まされてさらに怒りを募らせ、口を滑らせた方は、他人を罵り、悪口を言うことで自らはそうなるまいと鼓舞しているようにも見受けられる。
 よきにつけ悪しきにつけ、言葉は力を持っている。
 いつも汚い言葉を聞かされていると心の中に澱が溜まり、こちらの思いまで染みだらけになってくるから恐ろしい。私など結構他人の言葉に影響を受けやすいほうなので、頭のどこかにフィルターを付けて置く必要がありそうだ。
 裏のないやさしい言葉は人のこころを豊かにする。強い言葉は時に人を励ますが、言う本人に人格がないときは、いたずらに人を傷つけるだけのようだ。
 翌日友人に電話をしたところ、知人と堂々一戦を交え、「今後言葉に気をつけなさい」と言い渡して、「すっきりしたわ」ということだった。
 眼には眼を、歯には歯を、言葉には言葉を。【川口加代子】

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