脳梗塞で義母が倒れたとの連絡で、急ぎ夫の郷里へ飛んだのはこの春のこと。幸い発見が早かったため血栓を溶かす薬を使うことが出来、命は取り留めたが、右半身マヒと言語障害が残った。
言語をつかさどる機能は左脳に位置しており、その箇所の血管がつまったために義母は失語症となったという。口から音が出ないだけでなく、考えることと言葉の結びつきが鋏でプツリと切られたようになったのだ。
夏の間中、頑張り屋の義母はリハビリに励み、私たち夫婦もひと月半ほどその進展を見守ることが出来た。言語療法士の指導で、口から出る音が少しずつ増えた。字を見て物を指し示す練習、絵を見て物の名前を言う練習も重ねた。
意外だったのは、ひらがなとカタカナの難しさだ。自分の名前を尋ねられ漢字で書くことは出来るけれど、ひらがなやカタカナでは難しい。意思を伝えようと、指に挟んだペンでいくつかのひらがなを書くことは出来るのだが、義母の書いたつもりの言葉と私たちに読み取れる言葉とは違っていた。
また、ひらがなでは読み取れない物の名前も、漢字で示されると絵を指し示すことが出来る。これは義母だけではなく、ほとんどの失語症患者に見られることだという。
漢字には既に一定の意味・イメージが内臓されているので、切断された言葉と物の結びつきがリハビリで再生されていく過程でも、音の羅列であるひらがな・カタカナよりも容易らしい。
その義母の様子を見ていて、私には自分自身の弱点が分かったように思われた。
アメリカに来てたくさんの人々に出会ったが、「ハーイ、アキコ」と遠くから声をかけてくれる相手の名前を覚えておらずに「ハーイ」としか答えられないことが何度あったことか。
それまで漢字で人の名前を刻みこむことに慣れていた私の頭には、新しくカタカナの羅列で多くの名前を覚えることは随分と難しい作業だったに違いない。
義母は幸い、リハビリで徐々に機能を回復しつつある。私はといえば、残念ながら相変わらず名前を覚えるのが苦手だ。生活習慣も頭脳も、若い頃に形成されたものが一生を支配するようだ。【楠瀬明子】