—受賞した感想は
今回のアカデミー賞で一番驚いたのは、大女優のモーリン・オハラさんが94歳で受賞したことです。自分が生きている間に彼女に会えるなんて夢にも思っていなかった。生きているととんでもないことが起きるものだなと思いました。
—オスカー像を持った時の感想は
重いんです。車椅子で出席していたモーリンさんは、「金か銀でできてればいいのに」と語っていました。
—授賞式の会場で思ったこと
会場でモーリンさんに会えたことが何よりも感動でした。モーリンさんはとても素敵だった。僕は堂々とこっそり言ったんです。「とても綺麗です」と。本当にそう思ったから。モノクロ時代のスターは本当にスターです。あの美女が振り向いた時、シルエットは昔のままだった。しわがあろうがシミがあろうが関係ない。その美しさに息を飲みました。
—アカデミー賞とは監督にとってどういうものか
本当のことを言うと関係ないんですよ。そういう志を持ってこなかった。アニメーションをやろうと思った時、アカデミー賞が目標ではなかったし、視界にも入っていなかった。
賞はもらえないと頭にくる。でももらったからといって幸せにはなれないんですよ。それで自分の仕事が突然良くなる訳ではないんです。結果を一番よく知ってるのは自分なんです。映画は自分で終わらせないといけない。賞で決着はつかないんです。
今回アカデミー賞をとって良かったと思うことといえば、モーリンさんがまだ生きていたこと。会場で車いすの彼女に、「『わが谷は緑なりき』のあなたは本当に素敵でした」と言ったんです。すると「ジョン・フォードはとても怖い監督だったのよ」と返ってきました。彼女と交した短い会話がとてもうれしかった。「人生何が起こるか分からないな」と思いました。
—今回の受賞は黒澤監督以来、日本人としては2人目の受賞になるが
僕は黒澤さんも(同賞を)もらいたくなかったんじゃないかと思うんです。今までのことを功労する賞はもらってもしょうがないと思う。映画を作るってもっと生々しいものだから。「作った、どうだ見てみろ」ってその後に賞をもらえたらいいが、「随分長くやってきましたね」ってご苦労さま賞をもらっても。だから本当に賞をもらっても何も変わらないんです。
僕は、あらゆる賞にたいして意味を見いだしていません。なければいいものだと思っています。
—創作意欲はどうやって保たれているのか
モチベーションは毎回衰えるんです。でもある日突然「こんなことではいかん」と思い、力を取り戻そうとするんです。その繰り返し。自分のスタジオに入っても、机にかじりつくより、そのまま寝てしまうことの方が多いくらい。でも起きますけどね。
—今後の活動について
長編は無理ですが、短編はチャンスがあれば携わっていこうと思います。
今日は94歳や83歳などの方々と会ったものだから自分はまだまだ小僧だと思いました。だからあまりリタイアなどと声に出さないで、やれることはやっていきたい。現役で自分を叱咤激励しようとは思わない、しても無駄だから。できる範囲でやっていきたいと思っています。
紙と鉛筆、絵の具と絵筆、ペンもインクも、生涯持ち続けると思う。できなくなっても描き続けると思う。そういう風に生きようと決めているんです。それが仕事としてなのか、ただの道楽になってしまうか、まだ判断がつきません。
—今後の作品について
自分がやりたいこと、でも同時にスタッフにとっても一度はやっても意味があるだろうという仕事でなければいけないと思っている。なんとなく手伝って終わってしまったというのではだめです。そうじゃないと毎日スタジオに行きたいと思わないじゃないですか。
—日本のアニメーターにエールを
アニメーターに限らず、人は貧乏する覚悟でやれば何とかなるものです。僕がアニメーターになった時、アニメーターといっても誰にも通じなかった。そういう仕事がある事自体、認識されていなかった。
「アニメの仕事」という道があるのではなく、結局何もないところを歩くことになるんです。その覚悟をもって一生懸命やるしかないんです。
【取材を終えて】
受賞式には夫人とデパートで買ってきたというタキシードを着て登場。オスカー像はジブリ美術館に寄付するいう。
純粋に自らがしたいことを追求し情熱を注いできた同氏にとって、アカデミー賞は目標でも何でもなく、あまり意味を見いだしていない様子。それよりも往年の大女優モーリン・オハラさんに会えたことの方が、生涯のかけがえのない思い出になったようだ。
受賞式後、はち切れんばかりの笑顔を浮かべモーリンさんに会えたことの喜びを記者に伝える姿は、まるで大好きな女の子に会えた幸せを一生懸命話す少年のようだった。