世間をお騒がせして申し訳ありませんでした…深いお辞儀を最低10秒。日本の報道でよく見る光景だ。不祥事を犯し最早逃れられず、謝るしかなくなった状況で開く謝罪記者会見。そこで必ず目と耳にするこの言葉は、やった事をぼかすごまかしである。なぜ犯した内容をまっすぐ言って謝らないのか。江戸時代じゃあるまいし、世間をお騒がせしたのが悪いのでなく、暴力をふるった、不正な経理をした、脱税した、偽装表示をした、腐った食品を販売した、事故を起こし死傷者を出してしまった、万引きをした、これら悪事をきちんと述べて謝るべきなのに。
 「世間を騒がすお上を恐れぬ不届きもの」というセリフは徳川三百年の江戸時代、悪さをして世間を騒がすことはお上(幕府)の支配体制に支障を来たしかねないので、こういう表現で悪事として罰したのが定型になったのだ。謝るほうがお上の真似をしてどうするかと言いたい。
 謝るなら世間を騒がせてなどと誤摩化さず、やった悪事をきちんと述べてそれを謝罪しなさいよ。悪事をあいまいにしては謝罪にならない。
 全く違う話だが、いい加減な日本語の氾濫の中でスポーツ選手たちがよく「明日から頑張りたい」などと言うが、おかしい。頑張るのは自分の意思の問題だから、するかしないかしかなく、したいという話ではない。頑張りたければ頑張ればよいだけ。正しくは、きっぱり「頑張ります」、これしかない。
 何々したいというのは「パリへ行きたい、あんみつを食べたい、早く寝たい、スキーをしたい、彼女に好かれたい」など希望や願望を言うもの。
 頑張りたいなどと言うのは間違った言葉だが、それ以上に自分の意思をどこかに置いて人ごとみたいで情けない。これを言う選手が実に多い。スポーツマンらしくないので余計に気に障る。
 よく負けた選手が「課題が見えた内容で明日につながる負けだと思います」なんて評論家みたいな言い方をしているのはおかしい。勝負なのだから「悔しい、残念です」と潔く言ったらどうか。それこそが明日につながるバネになるのではないか。【半田俊夫】

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