2009年にJSPACC内に発足したシブリング会。現在、12歳から22歳の19人の会員が在籍している
2009年にJSPACC内に発足したシブリング会。現在、12歳から22歳の19人の会員が在籍している
障害者支援に力を入れる次世代のリーダーたち
障害者支援に力を入れる次世代のリーダーたち
 ロサンゼルスを拠点に活動する障害児を育てる日本語を話す親の支援グループ「手をつなぐ親の会(JSPACC)」内に、障害児をきょうだいに持つ健常児のグループ「シブリング会」がある。障害児の世話に奮闘する親を陰で支え、障害のあるきょうだいのよき理解者として寄り添ってきた彼らを支援する目的で結成され、6年を迎える。会員は12歳から23歳の19人。人一倍の優しさと思いやり、また親亡き後にきょうだいの面倒をみる覚悟を胸に、差別のない社会を目指す。障害者と健常者の橋渡し役を担う次世代のリーダー5人に、それぞれの思い、そして将来の夢について語ってもらった。【取材=中村良子】

エレジーノ翔子さん
妹の笑顔にみた可能性:音楽療法士目指す

自宅の裏庭でくつろぐエレジーノ・翔子さん(右)と妹の有希子さん。翔子さんは、音楽療法により有希子さんの表情が豊かになり、意思表示ができるようになったことに感動。現在音楽療法士を目指し勉強に励む
自宅の裏庭でくつろぐエレジーノ・翔子さん(右)と妹の有希子さん。翔子さんは、音楽療法により有希子さんの表情が豊かになり、意思表示ができるようになったことに感動し、現在音楽療法士を目指し勉強に励む
 知的障害のある自閉症と診断された妹の有希子さんは、今までさまざまなセラピーを受けてきた。「どれも『やらされてる感』があるのに、音楽療法だけは違ったんです」
 米軍バンドの指揮者だった祖父、トロンボーン奏者の父、ビオラ奏者の叔父と、音楽一家に育った翔子さん。自身もピアノ、フルート、合唱を習ってきたが、一時音楽と距離を置いた時期もあった。
 そんな時、普段言葉を発することのなかった有希子さんが、何かを口ずさんでいるのに気付いた。耳を澄ますと、それは音楽療法で習ったディズニーの曲だった。以来、無表情だった有希子さんが、楽しい曲に笑顔を見せ、悲しい曲に涙を見せるなど、意思表示ができるようになったのを目の当たりにし、音楽の力を再確認した。現在、多くの障害者に笑顔をもたらすため、音楽療法士を目指し、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で勉学に励む。
 シブリング会を通じ、障害者の支援だけでなく、陰で気持ちを押し殺して生きるきょうだいの役にも立ちたいと思うようになった。昨年夏、シブリング会だけで遊園地へ行った。普段はしっかり者として知られる中学生の子が、見たことないほど甘え、子どもらしい姿を見せてくれた。しかし、迎えに来た父親と弟を見た瞬間、いつもの「お姉さん」に戻ったその姿に、かつての自分を重ねた。
 「甘えたい。でも、障害のあるきょうだいの世話で大変な親の負担にはなれない。そう思って自分を抑えるシブリングは多いと思う。彼らには、周りに遠慮なく甘えられる場所が必要なんです。私も昔、そうだったから」

池内知さん
弟の小さな一歩に感動:「障害者の生活支えたい」

池内知さん(左)と弟の直さん。知さんは、「弟の面倒を大変だと感じたことは一度もない」と話す
池内知さん(左)と弟の直さん。知さんは、「弟の面倒を大変だと感じたことは一度もない」と話す
 物心付いたころから、自閉症と知的障害のある弟、直さんの面倒をよくみてきた。「意識して面倒をみようと思ったことはないです。無意識に親の負担を少しでも減らせればいいなと思っていたのかもしれないけれど、兄として、家族である弟を気にかけることは私の中で当たり前のこと。今まで大変だと感じたことはありません」
 直さんとの生活の中で、漠然と「将来は障害者とかかわる仕事がしたい」と思っていた。
 そんな時、1人で飲食ができなかった直さんが、作業療法を続けた結果、少しずつ自分の手を使えるようになり、そしてフォークやコップを持てるようになった。また、子供のころは足腰が弱く歩行はバギーに頼っていたが、セラピーのおかげで今では自力で歩き、走ることもできるようになった。
JSPACCで開催したミュージカル「キャッツ」に出演する準備をする兄弟。直さんにはいつも知さんが優しく寄り添う
JSPACCで開催したミュージカル「キャッツ」に出演する準備をする兄弟。直さんにはいつも知さんが優しく寄り添う
 「小さな一歩を繰り返しながら成長して行く過程、またほんの少しの工夫で、健常児と同じような生活を可能にする作業療法に感動しました」
 JSPACCの活動を通じ、直さんとは違うさまざまな障害を持つ人と出会えたことでさらに視野が広がり、「より多くの障害者の日常生活を支えたい」との強い思いが、知さんを作業療法士への道へと導いた。
 現在は、北海道大学医学部保健学科で勉学に励む。「日本はアメリカと違い、電車や自転車、徒歩が主な移動手段なので、人ごみなど障害者には生活し難い環境が多い」。今後は、そういった環境の違いを理解した上で、障害者が心地よく日常生活を送れるサポートができる作業療法士を目指す。

野嶋真衣さん
「障害もひとつの個性」:触れ合い、理解を

 妹の紗衣さんは、「滑脳症」という脳の形成障害を持って生まれ、食事や歩行、会話をすることができない。「毎日一緒に過ごしているから、私にとって特別ではなく普通のかわいい妹。よく、障害者を見て『かわいそうに』と思う人がいるけれど、それは違う。確かに紗衣は重度の障害者だけど、紗衣は、紗衣なりに毎日楽しく生きています」

昨年のハロウィーンパーティーでキャンディーショップの店員に扮した野嶋さん姉妹
昨年のハロウィーンパーティーでキャンディーショップの店員に扮した野嶋さん姉妹
 こういった誤解や差別をなくすため、真衣さんは自身が所属する高校のテニス部と、障害者と健常者が交流する場を提供する団体「Friendship Circle(本部=レドンドビーチ)に掛け合い、ボランティアでテニス教室を始めた。
 今まで障害者と触れ合ったことがなかったテニス部員が、さまざまな障害を持つ子どもたちと一対一でペアを組み、手と手を取り合ってテニスを楽しむ。回を重ねるごとに互いの距離が縮まり、仲良くなる姿を見て、あらためて「触れ合うことで、理解は深まる」と実感した。
 紗衣さんとの生活の中で、その人の魅力やいいところを見つけることを学んだ。「健常者と比較して欠けている部分を見るのではなく、その人にしかない才能や個性を見てほしい」。子供のころから紗衣さんの身の回りの世話をしている真衣さん。「妹の面倒をみることはごく自然なこと。私が生きている間は、私が一生、紗衣の面倒をみる」
 将来は、神経科医または脳科学の研究員を目指す。「私一人では何もできないけれど、(同じ目標を持った)仲間と病気の解明や治療法、薬の開発などに携わり、病気や障害を持つ人たちの役に立ちたい」

吉山マリヤさん
「違いを受け入れて」:日本の社会に訴える

 礼儀正しく秩序ある日本の社会に憧れ、上智大学へ入学したマリヤさん。日本に住んでみると、「社会全体がきちんとしている分、日本人は他人にも完璧を求める」ことが分かった。アルバイト先のコンビニでも、ささいなミスに客から罵声を浴びせられることは日常茶飯事。レジで待たせてしまった時は、スーツ姿の女性客から「死ね」との言葉を投げ掛けられた。

上智大学に入学したため、現在は日米で離れて暮す吉山マリヤさん(右)と弟の大翔さん。大翔さんには、スカイプで日本での体験を話している
上智大学に入学したため、現在は日米で離れて暮す吉山マリヤさん(右)と弟の大翔さん。大翔さんには、スカイプで日本での体験を話している
 大学でも、1人の人に集団で悪口を言う光景をよくみる。「みんなが普通で、みんなできて当たり前と思っている人が多い。自分と違う見た目や、違った考えを持つ人を受け入れられるようにならなければ、障害者などに対する差別もなくならない」
 弟、大翔さんは自閉症だ。「人と違った言動をすることがよくあって、思春期の時は恥ずかしいと思ったけど、今はそれが大翔だと胸を張って言える」
 昨年夏、埼玉県で全盲の女子生徒の白杖につまづいた男が、腹を立てて生徒の足を蹴る事件があった。「連日どのテレビ局もその事件ばかりだったのに、犯人が知的障害者と分かった途端、一斉に報道しなくなった。異様だった」。マリヤさんにその理由は分からないというが、「日本は障害者が犯罪を犯したことを隠そうとしているのかなと思った。アメリカなら、普通に報道すると思う」。
 車社会アメリカと違い、人と触れ合う機会の多い日本で米国との違いを学び、「将来自分に何ができるのか、これから探していきたい」。

尾崎泰斗さん
「障害者支援は僕の使命」:亡き姉に感謝

「姉と過ごした10年は宝」と尾崎泰斗さんが話すように、泰斗さんはどこへ行くにも茂花さんの手をつないでいた
「姉と過ごした10年は宝」と尾崎泰斗さんが話すように、泰斗さんはどこへ行くにも茂花さんの手をつないでいた
 「姉に障害があったことで、今までにたくさんの障害者とかかわることができた。これもすべて姉のおかげ。姉は11歳で亡くなってしまったけれど、一緒に過ごした10年間すべてが僕の宝。失ったものよりも、姉から得たものの方が大きい」
 泰斗さんの姉、茂花さんは、脳の一部が機能を失い空洞状態になる先天性疾患「孔脳症」と診断され、知的障害と発達障害がみられた。泰斗さんは、物心付いたころから常に茂花さんに寄り添い、どこへ行くにも手をつないでいたのを、今でも鮮明に覚えている。
 素直で裏表がなく、赤ちゃんのようなピュアな気持ちを持った茂花さんと生活する中で、ささいなことにも感謝する大切さを学んだ。「十人十色というように、人はそれぞれ個性を持っている。障害もそのひとつで、みんな使命を持って生まれてきている。姉は、僕に障害者の世界を通じて本当の優しさを教えてくれるために、この世に生まれてきたと思っている」
 カリフォルニア・ポリテクニック大学ポモナ校でコミュニケーションを学ぶ泰斗さん。将来の夢は、日米、そして世界の障害者と健常者をつなぐ懸け橋的役割を担うこと。「障害者の一番の理解者として、障害者が住みやすい世の中を目指し、制度の改善などを訴えていきたい」

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取材を終えて―

 JSPACCに出会って11年。彼らの取材を続ける中で、「普通」とは一体何か、よく考えさせられる。
 今回話を聞いた18歳から22歳の若者5人にとって、障害のあるきょうだいが「普通」。それがきょうだいのありのままの姿であり、持って生まれた個性のひとつ。そして、ともに成長していく愛する存在なのだ。
 親が差別を受け、悲しんでいる姿も見てきた。甘えたい時期に甘えられない幼少期を過ごしてきた。それでも、親を陰で支え、差別をなくすことを目指し、障害者支援に力を入れる若者たち。彼らをかき立てるものは何か―。
 それは、「障害者は特別な存在でも、かわいそうな存在でもなく、他の子と変わらない存在であることを分かってもらいたい」という彼らの強い気持ちだ。
 差別は無知からくる。差別をなくすにはまず、教育と経験が必要。社会を共有する仲間として、障害に関する正しい知識を学び、障害者と触れ合う機会を経験することで、それが「普通」になる。この心優しい5人の若者は、それを私に教えてくれた。【中村良子】

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