矢作哲郎さん
「カリフォルニア料理の先駆者」と評されるウルフギャング・パック氏が経営するカリフォルニア料理レストラン「スパゴ」。そのビバリーヒルズにある本店で総料理長を務める日本人シェフ矢作哲郎さん。世界各国に展開する同店の本店で選りすぐりのシェフ50人を束ね、「和」と「洋」を融合させた料理で世界中の食通をうならせている矢作さんに、パック氏との出会いから憧れの米国行き、夢の実現について語ってもらう最終回。【取材=吉田純子】
先輩からの後押し
憧れの地アメリカへ
日本のパック氏の店で働いていた時、そこで働く先輩から言われた一言が、矢作さんをアメリカへと向かわせる後押しとなった。
ある時矢作さんは兄のように慕う先輩にアメリカへの思いを口にした。「アメリカに行きたいけどお金もない、ビザの問題はあるし」。すると彼はこう言った。「『アメリカに行く』と決めてしまえばいい。決めてしまえばそうなるから」。自分が行きたいと言っているうちはまだ迷いがある。でも行くと決めてしまえばあとは準備するだけ。「結局自分が決めなければ何も始まらないということを彼は伝えたかったのだと思います」
このアドバイスの後、矢作さんは会社を辞め、米国へ飛んだ。向かった先はパック氏のもと。「少しの間でいいから働かせてほしい」。そこで観光ビザの有効期間の3カ月、無給で働いた。収入がないので貯金を切り崩しての生活。「バックパックに下着を詰め、所持金は800ドル。それでも幸せでした。夢のアメリカに来れたから」。その後日本に戻るが、この3カ月の仕事ぶりが認められ採用されることになる。ビザもサポートしてくれ、再び米国へと向かった。「アメリカは優しい国。自分のような外国人が来ても頑張ったらチャンスを与えてくれる。日本だったら(外国人に対して)もっと壁は厚いと思います」
厳しい料理人の世界―。「差別はあったかもしれないが『差別された』と言うと言い訳になってしまう」。自分も周りをも納得させてしまう最終的な武器が差別のせいにすること。「差別されているから上に行けない」と言ってしまうと完全に人のせいにできてしまう。そうではなく、誰にも何も言わせないくらい自分自身の能力を磨き、勝負すべきだと力を込める。
料理人の世界はみなが「いいものを作りたい」と目指すゴールが一緒。同じ苦労を重ねる者同士が働いているから厨房では互いによい支えになっているという。
琴線に触れるのは日本
和の要素をフレンチに
食材に対する探究心は常に旺盛だ。カリフォルニアはとにかく野菜が美味しい。食材はローカルのものを使うことにこだわり、休みの日にはサンディエゴやオックスナードの農園まで野菜を見に行ったり、ファーマーズマーケットで出会った農家の人の農園まで足を運んだりするという。
メニューには自身のバックグラウンドである日本人としてのアイデンティティーを盛り込む。少し前までは、フランス料理のテクニックにわさびなど日本の味を加えることが多かった。しかし今は違う。「和の考え方」を取り入れるのだ。
フランス料理は味を重ね作り出していくもの。ソースも赤ワイン、野菜、肉からでた味を合わせて美味しいピンポイントを見つけていく作業。一方、和食は引き算をして美味しいピンポイントを見つけていく。
日本食の基本の出汁も、水とカツオ、昆布でとる至ってシンプルなもの。たったそれだけの材料で美味しいポイントを見つけていく。だが味は人それぞれ違い奥深い。
だが少し懸念も。「和食をやったことがないのが少し負い目。今日本食も勉強しています。難しくて試行錯誤ですが、和の考え方を自分がやってきたフレンチに加えていけたらいいと思う」
例えば、備長炭で肉を焼く時、米国人の客に備長炭を使う料理人のこだわりは分からない。しかし美味しいのは伝わる。「『あれ美味しかったよ』と言ってもらえたらいい。ただその言葉が聞きたいだけ」
和食器にもこだわり、これまでにも伊万里、有田、唐津、信楽、備前など日本の陶磁器の産地に足を運んだ。スパゴの食器には特注の有田焼のプレートも使用されている。「和の良さを生かしていきたい。やはり日本人。琴線にふれるのは日本なんです」
料理を通して感動を
「最高のチーム作りたい」
「今がいちばんしんどいかもしれない」。日本での修業時代は米国行きが夢だった。ショートタームの目標がいくつもあり、一つひとつこなしていった。「日本にいた時はいつも『アメリカに行きたい』と無我夢中でした」
総料理長となった今、叱ってくれる人が少なくなってきてしまった。「これができてないじゃないか」と指摘してもらえたら「直さないと、頑張ろう」と思える。しかし今は言ってもらえなくなってきている。何が足りてないか自分で探さないといけない。すると「いろいろ考えていると、今足りていること、出来ていることも見失いそうになってくる」という。総料理長ならではの苦悩がそこにある。
「和」の要素を取り入れた「洋」を考えていても何が自分には足りてなくて何が出来ているのか分からなくなることもあるという。「今は頭で悩むことが多いですね、昔は体だけ動かしていればよかったのに」
それでも多くの人に喜んでもらうため、日々一品一品に魂を込めて料理を創作している。料理を通して感動を届けるため「さらにいい最高のチームを作っていきたいです」と力を込めた。
