2月に入って、既に2つの葬儀に参列した。それも土曜日に1つ、日曜日に1つと続くと、灰色の雪催(もよい)の空と相まって、少し疲れた気分になる。
 G氏の葬儀には150人を優に超える参列者が、地元はもちろん遠くハワイやカリフォルニアから集まり、故人を偲んだが、仏教会の開教師の司式で行われ、簡潔に、しかしすべてに行き届いた式だった。
 2つの葬儀を比較するつもりはないけれど、その翌日のMさんの場合は、大分前にご主人に先立たれ、子供も無くて一人暮らしで急死だっただけに、州のパブリックの後見人の手で後始末がされて火葬されていたため、既にご主人が入っている同じお墓に、そのまま埋葬されるだけの状態だった。
 「それではあまりにも気の毒、私たちはいつも一緒に活動に参加してきた仲間ですから、お別れの会くらいみんなで…」
 生前Mさんが所属していたシングル・クラブのメンバーが、声をかけ合って十数人が葬儀社に集まった。
 故人はどこの教会やお寺にも所属していなかったようで、司式をする牧師も司会者もなし。葬儀社のオーナーのH氏が聖書を朗読、後は参列者がそれぞれMさんの思い出話をして彼女を偲んだ。
 式の後はソーシャル・ホールで持ち寄りの茶菓を出し合って再びMさんのことを話し合ううちに、出身地は東京らしいということ以外、誰も彼女の家族について知らないことに気が付いた。
 「誰かいるでしょうに、もし住所でも分かれば、亡くなったことを知らせてあげたいけれど…」「以前に一度話の中で、私の娘が…といったことがあるから、きっと娘さんがどこか、日本にでもいるのかしら」
 グループで集まるときには必ず美味しいパイやお菓子をさげてきては、気前良く振る舞い、おしゃれでいつもきちんとお化粧をしてラインダンスが大好きだったMさんは、私生活や、日本の家族については誰にも話さなかったようである。
 なんだかさびしいような気もするなどと言えば、「余計なお世話よ」と言われそうだ。
 人生いろいろ、人の幸不幸なんて一口では言えないけれど、このシングル・クラブの仲間に送られたMさんの旅立ちを喜びとしたい。【川口加代子】

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