南加神奈川県人会から感謝状が手渡された諸星光、芳子夫妻。右端がフランク川瀬会長
南加神奈川県人会から感謝状が手渡された諸星光、芳子夫妻。右端がフランク川瀬会長

あいさつに立つ堀之内サビーン夫人
あいさつに立つ堀之内サビーン夫人

 南加神奈川県人会は8日、恒例の新年親睦会をイングルウッドのレストランで催した。昨年新会長に内定していたボブ・ウエダさんが病気療養中のため、昨年まで5年間会長を務めたフランク・川瀬さんがウエダさんの復帰まで続投することになった。

 今年の新年会には、堀之内サビーン夫人が特別ゲストとして出席。夫人は、堀之内総領事と2人の子どもたちが神奈川県相模原市内の同じ病院で生まれたことや、その後7年間にわたり小田急線沿いに在住していたこと、家族で横浜や鎌倉などを頻繁に訪れていたことなどを語り、「神奈川県は大切な思い出のつまった場所」と日英両語であいさつ。会員は夫人との「神奈川つながり」を喜んだ。
 またこの日は、長年にわたり同会に貢献した会員として、2世で今年10月に100歳を迎える諸星光さんと、夫人の芳子さんが紹介され、川瀬会長からそれぞれに感謝状が手渡された。
 諸星さんは1915年に3人兄弟の長男として加州ストックトンで生まれた。1歳の時に家族と神奈川県南足柄市へ引っ越し、18歳で帰米。オークランドで農業を営んでいた叔父の家に世話になったが、給料をほとんどもらえない奴隷のような生活に耐え切れず、4年後、ブランケット1枚を手に三男と夜逃げ。途中、農場の野菜などで飢えをしのぎながら、ヒッチハイクと野宿を繰り返し、サンノゼまで歩いた。
 サンノゼでは、白人の農家の人から食糧を分けてもらったり、フィリピン系オーナーの農場で数カ月働かせてもらった。そんな中、サンノゼ南に位置するワトソンビルで同郷神奈川県出身のスエフジさんに出会い、スエフジさんが経営するレタス農場で10カ月間働かせてもらったという。その後はサンフランシスコでスクールボーイをしながら夜間学校へ通い、39年に徴兵制度により陸軍入隊。41年の戦争勃発後、日系兵だけ外に設置されたテントに隔離され、その後トパーズを経て、ツールレイク強制収容所へと移送された。
 45年6月に出所許可が出され、首都ワシントン、メリーランド州、フロリダ州などを経て加州へ戻った。その後日本で芳子さんと結婚し、65年からトーレンスで庭園業者として働き、72歳でリタイアした。
 感謝状の授与を受けあいさつに立った芳子夫人は、「県人会には長いことお世話になっており、今回はこのような賞をいただき嬉しく思います」と感謝、「夫はアルツハイマー病と診断されましたが、夫婦で第二の人生を満喫しています」と述べた。
 昼食を前に会員は、津軽三味線奏者のアトキンス・直樹さんの演奏を満喫。食後は恒例のビンゴゲームなどを楽しみ、親睦を深めた。同会は7月にピクニックを予定している。【中村良子、写真も】

新年を祝い、乾杯する会員
新年を祝い、乾杯する会員

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