「着物を処分したいのだけれど、誰か引き取ってくれないかしら」こんな質問を最近、数人の友人知人から受けた。
「洋服は高価なものでも平気でサルベーションアーミーに出せるのに、着物だけは捨てられないの」と。
一度見てほしいといわれ、パームスプリングスの友人を訪れた。部屋いっぱいに広げられた数々の見事な着物を見て、息を呑んだ。何十年も前にアメリカに嫁ぐ時、親が持たせてくれたものだそうだ。柄も色も日本独特の優雅さがある。友人は一枚一枚にまつわる思い出を着物を撫でながら語ってくれた。
身につまされて引き取り先を探してみた。やっと着物を買ってくれるという業者さんが見つかったが、現実は予想をはるかに裏切るものだった。
「買い取っても転売するのが非常に難しい。全く売れないといってもいい。派手な着物なら、アメリカ人がパーティー用に買ってくれることもあるが、せいぜい40ドルどまり」と。一昔前は、踊りやお茶の稽古着に喜ばれたが、今は安い新品が出まわっている。誰も古着を着なくなったのだ、という。
私にも眠ったままのたくさんの着物がある。山口県萩の城下町出身だから、娘時代は着物を着てお茶をたて、お花を生けた。裁縫が母の仕事だったので私が渡米する時、母は無理をして、何十枚もの正絹の着物をあつらえてくれた。それがせめてもの母の気遣いだったのに、私は田舎臭くてさえない柄だと内心気に入らなかった。
あれから何十年、母もとうの昔に亡くなった。その着物を最近広げてみた時、胸がしめ付けられた。おとなしい柄なのに、初々しい清さがある。ふわりと包みこまれる柔らかい色。人の後ろに隠れるような奥ゆかしい柄。それらは、芯が強く、凛として立ち、いつもほほえんでいる、そんな日本女性の良さを引き立てる柄であった。母が選び、一針一針縫ってくれたわけがやっと分かり、こみあげるものがあった。
着物は着る人を引き立てるもの。着物を引き立てるために人間が着ているのではない。着物がますます捨てられなくなった。思い出が、親の愛が、捨てられないのである。【萩野千鶴子】