連休の5月4日、5日には相模川の河川敷で毎年大凧上げが行われる。この凧上げは185年ほど前からだそうで、本格的に大凧となったのは明治中期から。今や相模原市の5大観光行事の一つとなっている。
初日の4日、現地では川上にも川下にも幾つかの大凧が右に左にと揺れながらゆったりと空を舞っている。正面の川原には小振りの4間凧とその手前には8間凧が準備されている。骨組みは竹で、大文字を書いた岐阜の美濃和紙を張る。8間凧は128畳・重さ約1トンもあり、80~100人の人たちで揚げる。綱の長さが200メートル、必要な風速は10~15メートルというから大変なものだ。強風を逃して和らげるためか、下から2番目の区画は紙を取り外している。
グランドでは鼓笛隊や若者たちの「よさこいソーラン」の踊りなどが次々と演じられている。広い相模川の向こう岸からこちらの岸へロープが張られ何百もの鯉のぼりが勢いよく泳いでいる。観客は木陰や土手に敷物を広げ思い思いに弁当を開いている。子連れの家族やカップル、友人同士などさまざまだが、圧倒的にリュックを背負い自慢のカメラを抱えたシニアが目立つ。
昼食後はいよいよ本番、会場には時折強風が吹き一面に砂埃が吹き上がる。まず前座の4間凧が舞い上がったが、後尾を抑えた人たちの手放しが一瞬遅れたのか、空中に浮いたと思った瞬間、右に大きくあおられて仰向けに墜落してしまった。次は8間凧の番だ。200メートルのひき綱が伸ばされ人々が配置に付く。合図と共に大凧が浮き上がった。瞬間、左から一陣の強風。凧がしなり大きく右に振れて綱に取り付いた何人かのスタッフが転がる。バキバキと不吉な音が辺りに響くと、骨を折られた凧は大きく右に振れてしぼみ、浮力を失った凧は会場の端にあったテントの骨組みに激突。負傷した一人のスタッフが待機中の救急車で運び出された。
アクシデントはあったが会場の観客は目の前で演じられた迫力のある大凧上げを満喫した。失敗を参考にまた来年は一段と進化した大凧上げが見られるだろう。来年の再訪を願いながら帰途についた。【若尾龍彦】