4月末に義理の叔母が87歳で他界し、2年ぶりにサンノゼを訪れた。
 前回訪れたときに「88の誕生日には必ず来るから」といった約束が1年早く永久の別れになってしまった。
 「葬儀はしないように」という遺言に従い、親族友人によるメモリアルの集いには、95歳になる叔母の兄も参加していた。5人兄妹の最後のひとりで、実に矍鑠(かくしゃく)としており、「元気そうですね。2年前と少しも変わらない」と言うと、「去年のクリスマスには子供たちから新しいスキーをもらってね」とニコニコしている。
 スキーと釣りが大好きなのは知っていたが、まさかまだ続けているとは思わなかった。「去年の冬は雪が少なくて3日くらいしか滑れなかったよ。いつもは20〜30日は滑るんだけど・・・」とちょっと不服そうに言う。リノのスキー場まで1時間半のドライブも自分でする。
 いかにシニアの仲間入りをしているからとはいえ、疲れた疲れたを連発している自分がはずかしい。
 シカゴに戻って来ると、今度は102歳で他界した帰米二世の榧野レイ氏のメモリアルサービスが待っていた。
 榧野氏は戦前、日本のモダンバレーのパイオニア、伊藤道郎の弟子で1937年にハリウッドボウルで上演された「越天楽」にも出演していた。
 1941年12月7日、明日はニューヨークのラジオシティでのクリスマス公演に出発という朝、日本軍の真珠湾攻撃のニュースで、彼のエンターテイナーとしての道も絶たれてしまった。
 シカゴに転住後はドライクリーニング店を経営しながらも、日本の舞台芸術をこよなく愛した榧野氏の知識は日本舞踊の公演や仏教会の文化行事、フェスティバル開催にはかかせない存在だった。
 95歳で矍鑠と暮らす叔母の兄、102歳で天寿を全うした榧野氏、共に戦争により人生を大きく変えられながら生き抜いた大先輩。2人に共通していえることは、その生き方が明るく肯定的で、心身の健康のバランスがすばらしいことである。
 学ぶこと多し。【川口加代子】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *