12月1日から来年1月末までパリのリヨン駅で日本の「駅弁」が販売される。フランスでは「Bento」の知名度が高いらしい。そこでパリで「駅弁」を売ることで海外での弁当市場の可能性を探るのが狙いだという。
 フランス産「シャロレー牛」をすき焼き風に味付けし、フランス料理の前菜、主食、デザートを表現した「Bento Paris-Lyon(パリ・リヨン弁当)」が目玉商品だ。むろん、「幕の内弁当」や「助六寿司」、おにぎりなど弁当の定番もそろえる。
 その道の権威によると、「食べ物を箱に入れる」という「弁当文化」は中国から伝わったという。中国語では「便当」と書く。中国には食べ物を入れて持ち運ぶ「如意籠」という食べ物入れがあり、「当座に便利」だったことから「便当」と名付けられたらしい。(ウェブサイト:「弁当」を学ぼう・駅弁学習室[駅弁の小窓])
 「便当」は室町時代に日本に伝わり、安土桃山時代には重箱の容器となった。そして江戸時代には「野良弁当」「花見弁当」といった具合に庶民の生活に根づいていった。
 日本で鉄道が開通したのは1872年。「駅弁」の登場はその13年後の1885年というのが通説だ。その年、東北本線が宇都宮駅まで開通した。初日、地元の旅館が梅干し入りごま塩握り飯にタクワンを竹の皮に包んで駅頭で売ったのが「駅弁」の始まりだという。
 「駅弁」で、私の一番好きなのは、群馬県高崎駅で売っている「だるま弁当」だ。茶飯の上に山菜きのこ、穂先タケノコ、椎茸、チキン、黒コンニャク、ゴボウを乗せ、地元名産・だるまの形をした容器に入れた弁当だ。
 新聞社で政治部記者をしていた頃、群馬選出の政治家N氏を担当する「番記者」だった。高崎にはN氏に同行して何度も行った。その時「だるま弁当」を食べて、病みつきになってしまった。
 「駅弁」は思い出を作ってくれる。「駅弁」は旅した、その土地や時間を脳裏に刻んでくれる。
 さて、パリジェンヌたち——。どんなジャポンを思いつつ「駅弁」に舌鼓を打つのだろう。【高濱 賛】

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