最近、ボランティアとは何ぞや? を考えさせられる。敬老売却をめぐる論議の中で、奉仕とかボランティアの文字を目にする機会が多くなった。聞いていると、無償であることは奉仕だとか、ボランティアは何か見返りをもらうものだとか、解釈はいろいろあるようだ。
 念のため、広辞苑(第5版)を開いてみた。奉仕は①つつしんでつかえること。②献身的に国家・社会のためにつくすこと。ボランティアは(義勇兵の意)志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人。とあった。
 渡米する前日本で、社会福祉施設で働いていたとき、ボランティア希望者はいた。その人たちは、何かしらの見返り、食事提供や送迎もしくは車代、感謝状などをほしがった。他の施設でも、同様のことがあると、お礼を包まないと悪態をつかれるというのも聞いた。その後、大きな災害があって、その復興支援に多くのボランティアが駆けつけるようになって、少しずつその感覚が変わって、手弁当で手伝う、無償の奉仕が広がっていきつつあると聞いた。
 渡米後、自分がボランティアの立場になって、20年近くになるが、いまだに日本人のボランティアの中に何か見返りを求める、ほしがる人を見かけることがある。ボランティアは働いた対価を要求するものではない。その意味を理解していないから、要求して当然、もらって当然になるのだろう。一部の人のこんな行為は、本当にボランティアをしている人たちにとっては迷惑な話だ。
 ボランティアは、博物館や施設なりのその場所で、必要としていることに対して、手伝わせていただく場をいただいている、決してしてあげることではないし、必要なくなったら即座に手を引くものだと思っている。五木寛之氏が「人間の覚悟」の中に「ボランティア、石もて追われよ」と書いておられるが、全くその通りだと思う。
 12月5日の敬老引退者ホームのクリスマス会で、支援団体愛友会の湯森会長が、引退者ホーム、中間看護施設が入居者受け入れ後の不備不足を補うために行った活動の一部をあいさつの中で述べた。無償どころか持ち出しの奉仕で支えられてきた。【大石克子】

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