泣きたいくらいに美しい…。ドイツの建築家、ブルーノ・タウトが桂離宮に残した賛辞に惹かれて、修学院離宮と桂離宮を拝観した。
 比叡山の麓、東山連峰の山裾に造られた修学院離宮は、1655年頃、桂離宮に30年遅れて造営された。54万5千㎡の敷地に上中下の3つの離宮(お茶屋)からなり、背後の樹々や山々を借景に連山を遠望して、谷川や岩・樹木を絶妙に配し、松並木の道と両側に広がる田畑で結ばれている。この地に造営者・後水尾上皇は頻繁に輿で訪れ、船で管弦を奏し歌を読み、中の島や岸辺を巡りながら宴を楽しんだことであろう。
 海抜150メートルの最高所にある上離宮の隣雲亭からは京都タワーや市街が一望に眺められる。よくぞこの地を選び、自然を生かしたこれだけ雄大な離宮を造ったものだ。この離宮は、明治18年に返還されて宮内庁の管轄となった。
 一方、桂離宮は、1625年頃、京都市街の西の外れに桂川の水を引き入れ6万9千㎡あまりの敷地に造られた繊細な回遊式離宮である。一木一石にも神経を配り、鑑賞する来客の驚きと感動を引き出す回遊路は、いたる所に樹木や庭石を配して視野をさえぎり、ここぞという一点で最高の景観を呈するという工夫に満ちている。それがきっとブルーノ・タウトの感動につながったのであろう。離宮は後陽成天皇の弟・八条宮初代智仁親王により創建され、代々に中書院・新御殿・幾つかの茶屋などが池や庭園にも手を加えられながら増改築された。やがて宮家が途絶えた明治16年に宮内省管轄となり桂離宮と称された。
 ふんだんに周りの自然を取り入れた雄大な山地の修学院離宮と、幾つかの中の島を巡る回遊路に隅々まで神経を張り巡らせた桂離宮、非常に異なる味わいの両離宮が、ほぼ同じ時期に造営され宮内庁管轄となったのは面白い。
 拝観には予約が必要だが、20人前後の拝観グループには外国人の姿も多い。自然を存分に生かし日本の美の真髄を表す両離宮は、外国人拝観者にも大いなる感動を与えている。宮内庁はその美を保ち、映像で広く世界の人々に日本の文化を伝えてほしいと願う。【若尾龍彦】

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