今春、日本滞在中に信州の山野に建つ無言館を訪れた。無言館は先の大戦での戦没画学生の遺作を数百点集めて展示する。東京から行くには、まず大河ドラマ「真田丸」でいま人気の上田市まで新幹線、さらにそこから地方鉄道とバスを乗り継ぐ。バス終点の岡上の公園で降りて、さらに山道を歩いて登る。結構大変だが、長野らしい穏やかで優しい緑の山野の中にある。
 絵が並ぶ簡素な館内では画学生の生い立ちや逸話が絵の下に張られている。戦死した時の年齢はほとんどが20代だ。絵画の道を志し進みつつあった彼らが、ほとんど大戦末期の昭和19から20年に急きょ招集され、南方諸島や東南アジアの激戦地に送られ戦死している。
 母や妹、祖母、あるいは新妻や恋人を最後に描いた作、自画像、風景画や静物画とさまざまな絵。夫々の絵に彼らの思いと訴えが込められている。残された若妻や恋人の幾人かは彼らが戦地に出た後、形見の子を産んだ。画学生たちの多くはそれを知らぬまま戦地に散って行った。
 残された父母や、あるいは若妻たちが赤子を抱えての戦後の辛く困難な人生を思った。また画学生たちの出征時の心情を偲びながら、昨年鹿児島の知覧に特攻平和会館を訪れた時と同じで、涙を拭きながら見て回った。若くして失われた彼らのかけがえのない命を追悼し、鎮魂の祈りを捧げる。
 彼らは志願でなく招集された身で、無念も未練もあっただろう。だが最後は故郷の父母や家族を思いながら故国と同胞のために身を捧げた。彼らの犠牲を思う時、彼らに報いるにはわれら後継世代はどう生きるのかを沈んだ心で考える。
 無言館の内容は多くの人に見てほしいが、信濃の立地は遠く不便であまり人々に知られず残念だ。この無言館を一人で絵画の収集から建設まで奮闘し館主として苦労の運営をしているのは窪島誠一郎という人だ。作家水上勉の実子だが、貧しさで幼い時に養子に出され戦時の空襲で行方不明になった。その成人後に父を見出し再会している。数々の著作を出している人で、中にわが敬愛する野本一平師との往復書簡集が出ている。前から持っている本だが今回美術館の中の小さな図書館でまた記念に購入して旅行中に読み直した。良き人たちのつながりに沈んだ心が温まった。
【半田俊夫】

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