「真央ちゃん」と親しみを込めて応援された国民的ヒロイン、フィギュアの浅田選手が現役を退いた。「お疲れさま」「感動をありがとう」など、贈る言葉が多く、同感する半面、一度たりとも滑る姿を見ることができなかった私には心残り。
 大技のトリプルアクセルという女子で跳べる選手は少ない3回転半ジャンプを鮮やかに決めるトップアスリートでありながら、しなやかで華麗な演技を披露するバレリーナのような芸術性を兼ね備えた数少ない選手だった。トリプルアクセルの助走に入る時は、ハラハラしながらテレビの画面に見入り、成功を祈ったものだ。
 15歳から世界の大舞台で活躍。輝かしい戦績を調べてみると、勝ちっぷりがいい。世界選手権、グランプリファイナル、全日本選手権は、それぞれのほとんどで表彰台に乗っている。唯一勝つことができなかったのが五輪。15歳だった2006年は、規定の年齢に数カ月達せず出場できなかった。初めての10年は銀、14年は6位。06年の五輪前の大会では、同五輪の金メダリストの荒川選手を破っていただけに、出ていれば…。
 14年の五輪後に1年休養し復帰した。来年の3度目の五輪を目指したが、精彩を欠き、昨年12月の全日本は12位に終わたことで引退を決めた。2月に最終決断したという。発表まで2カ月たったのは、他の選手に配慮し、羽生が優勝した世界選手権後と決めていたのだろう。
 記者会見をビデオで見たが「フィギュアは私の人生」と表現し、「すべてを出し切った」「悔いはない」「晴れやかな気持ち」などと、笑顔で話した。ジャンプを跳ぶ軸足を痛めてたという。ぼろぼろになる前に、惜しまれながら、競技者としてリンクを去り、さわやかな女の花道を見せてもらった。
 「日の丸を背負う」という言葉をよく聞く。国を代表する責任感を持ち、その重圧を跳ねのけ、強くなる。しかし、浅田選手は、そういうタイプではなかった。
 少女時代から天真爛漫で、大人の滑らかな滑りに進化させても、子どものように愛想を振りまき、人柄のよさから、すべての人に愛されたのだろう。スケート以外の人生でも、そのままであってもらいたい。【永田 潤】

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