テレビを見ながらふと自分世代の日本のテレビの変遷を走馬灯のように思った。ゼロから体現した現代までを辿ってみた。
 戦後の子供の頃、貧しい日本にテレビはまだ無かった。ラジオの時代で、夜は居間で家族がNHKのクイズ番組やドラマなどを聞き楽しむ一家団欒の光景があった。テレビなど想像の外だった。
 やがてテレビが日本に出現。家庭ではなく街頭テレビだ。人が集まる街の広場に公衆TVが高く設置され大人、子供の群衆が立ったまま野球中継やニュースの白黒放送を夢中で見た。日本のテレビの原風景。振り返ると他人どうしの群衆だが新しい体験を共有する一体感があった。
 次いで裕福な家にTVが入り始める。それはその家の私有物とならず夜毎近所の人々が揃って訪ねて上り込み、お茶まで出されて皆で見て楽しむ風景となり、まるで地域の公共物のごとくだった。持ち主の玄関は履物で溢れた。力道山のプロレス中継に熱中し、皆でお礼を言って引き上げた。当時のテレビは現在の自動車1台買うより高価だったろう。やがて徐々に低価格化が実現し一般家庭にも一家に1台の白黒TVの普及が始まる。64年の東京五輪でTV普及率90%となる。居間のTVが一家団欒の核となった。
 次はカラーテレビ化。69年に米国の月面初着陸が迫り、若き新婚の僕も世紀の出来事をカラーで見ようと、安給料を叩き思い切ってカラーTVを購入した時代。高額のカラーTVを買った家では居間に高級家具のごとく据え、見ない時は布カバーを掛けたりした。
 少々はしょると、やがて技術進歩でカラーTVの低価格化、さらに大型化、真空管箱型から液晶薄型へ、デジタル化、一家に1台から各部屋に1台の時代へ、こうなると居間での団らんはもう無い。
 今はさらに進み? 日本の若者はあまりテレビを見なくなったらしい。映像情報は何でもスマホ1個で見てテレビは不要、有難くも思わない世代が育って来た。余談だが今は何でもスマホでやりPCを使わないので、キーボードを打てない若者が出てきたらしい。いずれキーボードはおじん、おばんの特技になるかも。テレビの位置と内容は今後も変転を続けて行くだろう。【半田俊夫】

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