昨年8月8日、天皇はテレビで、ご自分が高齢に伴う体力の衰えから象徴天皇の責務が果たせるかとの危惧から、生前退位に関する思いを述べられました。直ちに有識者会議が設置され、さまざまな角度から議論された結果、特例法で一代限りの退位が認められました。
天皇がこのようなお言葉を発表されたのは、天皇はさまざまな国事行為を行い、単に国民の幸せと安寧を祈るだけでなく、常に国民と共にありたいと願われたからです。天皇皇后両陛下は全国各地の行事に積極的に出席し、火山の噴火、地震や津波など大災害の時には、なにをおいても現地に赴き被災者に温かい慰めと励ましのお言葉をかけられました。超人的な日程のその行為は義務としてではなく、国民と共に生き苦楽を共にしたいとの強い心情が被災者にひしひしと感じられ、打ちひしがれた被災者は復興への気持ちをふるいたたせたのです。また沖縄やペリリュー島への慰霊の旅も天皇皇后両陛下の強いご希望からだと報道されています。
この「国民と共に」の思いは明治天皇に始まっています。16歳で即位し東京行幸をされた明治天皇は、初めて海や富士山を見、農民や漁民の働く姿を見た天皇でした。アジア諸国が次々と植民地化されてゆく時代に、260年振りに国を開き国際社会に認められるには、相当な覚悟があったことでしょう。即位後6年目で洋装に変え、外国人も積極的に接見し握手も会食も行った天皇は、東北・北海道・四国・山陽道・九州と全国を巡幸されました。板輿(いたごし)や鳳輦(ほうれん)に乗り、行く先々で学校に寄り、土地土地の産物を見て話を聞き、就寝は零時近く起床は5時というから難行苦行、蚊の大群に襲われようと「民衆は蚊帳を吊っているか」と用いず、大本営を広島に移した時には「兵と共に」と質素な2階屋で7カ月を過ごしたそうです。
昭和天皇も戦後人間宣言と共に全国巡幸を行い、国民を励まし復興への気持ちを奮い起させました。一方、講和条約で占領期を終えると通常の外交ではできない多彩な皇室外交を展開し、国際社会復帰への役割を果たしました。私たち国民もその意義をかみしめたいと思います。【若尾龍彦】