今、「忖度」という言葉がはやっている。
 発端は、学校法人「森友学園」への国有地格安売却問題や「加計学園」の獣医学部新設計画をめぐって省庁幹部が安倍首相の意向を「忖度」したのではないか、との疑惑だ。両学園の理事長はともに首相と「昵懇」(じっこん)だったからだ。
 「忖度」には、他人の動機を「理論的に推し量る」、あるいは「すべての事実を知らずに推し量る」という二通りの意味がある。
 頭脳明晰な官僚たちだから、〈首相の意図に配慮し、すべての事実関係を知り尽くしたうえで、(あたかも)理論的に推し量った上で行政措置をとった〉と解釈するのは、意地が悪すぎるだろうか。
 ジャーナリストの新井光雄氏によると、日本社会では「忖度」はいたるところで幅を利かせているという。(『エネルギーレビュー』「一刀両断」2017年7月号)
 上司から「分かっているだろうな、あの件」などと言われると、正式な指示ではないが、断れない。出世はこの「忖度」がカギを握っていることだってありうる。多分九割かたは大丈夫だ、が、あとで責任問題が表面化すると致命傷になりかねない。新井氏は、「忖度」は「日本的曖昧さの極みだ」と言い切る。
 が、アメリカにも「忖度」はある。
 トランプ大統領はコミー連邦捜査局(FBI)長官に「ロシアゲート」疑惑捜査を中止するように仄(ほの)めかした。
 コミ―氏は「これは命令と受け止めた」と議会証言している。大統領の意図をsurmise(「忖度」)し、受け入れていれば、留任させてもらったかもしれない。が、長官は拒否した。だから更迭された。それが大方の見方だ。
 上からの命令なのか、願望をつぶやいただけなのか。どう受け止めるかは聞き手次第ということになる。
 人間関係はよきにつけ悪しきにつけ、「曖昧さ」の中で成り立っている。
 何も日本社会に限ったことではない。浮き彫りになったのは、聞き手だった公僕に「社会正義」(Social Justice)を貫き通せる勇気があったか、なかったか。それだけのことだ。【高濱 賛】

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