ファンドレイジングやらなにやら、猛烈に忙しい2週間が過ぎて、ほっとして、さてお礼の遅れているところ、連絡の滞っている人に電話をと、わが愛しの携帯電話のスイッチを押したところ、ウンでもないスンでもない。画面は真っ黒、確か昨夜一晩充電しておいたはずで空腹なはずは無い。念のためにもう一度ケーブルを差し込んでみたが充電している気配も無い。
 あれやこれやとハイテク文盲の藪医者が手を尽くしたがとうとうご臨終。
 ピンクのコートを着て、昨日まで元気だったスマホ(この呼び名はあまり好きではないのだが)が、掌サイズの伸し餅よろしく横たわっている。
 電話は諦めるとして、内蔵に秘められたシムカードの中の情報を何とか守りたい。他の人に比べればたいした数ではないが、毎日のように必要な電話番号、Eメールアドレス、メッセージ、写真、日本との連絡に欠かせない無料のライン、今やこれらが無ければ闇の中。
 娘に頼んで近くのサービス・ショップに同行してもらう。どうして付き添いが必要かと言うと、早口で、国籍不明(?)のハイテク言語を駆使されると、私は霧の中を浮遊するような心細さにおそわれるからである。
 自分の懐に見合う、少し大きめの画面の電話を選んで、さてそれからが「さあ大変!」である。情報を入れるたびに「IDは? パスワードは?」と訊ねられ、その度にウロウロあたふた、まるで拷問にかけられている心地。情報を移す段階でGメールアドレスをたずねられ、普段使っていないアドレスだったので、思い出すのに一苦労、やっと出てきたと思ったらパスワードがまるで思い出せない。6年も前にセットして、一度も使っていないのだから、年のせいばかりではあるまい。
 さらに1時間余、一世代前の電話を買ったときに箱の底に貼り付けてあったパスワードを見つけたときのうれしさ。
 うんざりしている娘にサンキューを100回ほど言って、後頭部から首にかけて痛みと圧迫感に耐えながら、やっと電話番号だけは救出した。
 ハイテクの闇の中に一条の光を見つけた気持ちである。【川口加代子】

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