ドカン! 低く鈍い大きな音。真っ直ぐ走っていたはずの車体が左右に揺れ、ハンドルが取られた。あーあ、やってしまった。心臓がキュンと縮まり、無我夢中で、反射的に右脇に停車した。ぶつけた車に走り寄り、中に居た人に、大丈夫ですか、と声をかけるのが精いっぱいだった。
若い男性がぬっと出てきた。運転席のドアを大きく開け、中で何かしていたらしい。僕は大丈夫だけど、ドアがやられたね。ぶつけられても、冷静な相手に、胸をなでおろした。わめかれたらストレスが倍になる。お互いのライセンス、保険証を出し、携帯で写した。こんな時はテクノロジーがありがたい。無機質に処理できる。
その日は朝6時に起き、用事や仕事で一日中走り回った。夕方、親戚と外食し、その後お付き合いで街をぶらついた。身体の疲労と緊張が重なっていた。もう少しで家に着くはずだった。自宅のドライブウエーの3軒手前の路上はいつも両側に数台の大きなバンが停まり道幅が狭まっていた。夜の8時で暗く、黒い車で、等など言い訳したいが、非はぶつけた本人にある。
在米40年の間にチケットはもらっても、事故を起こしたことは皆無だったから、ガックリきた。そろそろ年貢の納め時か。悔やまれてならないのは、ほんのちょっと注意していれば起こさずに済んだ事故だったからだろう。車庫に入れた自分の車は右の鏡が粉々で、電線一本でぶら下がり、右側の車体は真っ白に擦れた跡が凹んだ車体に帯のように付いていた。なんと無残な姿か。車といえども痛々しい。その日は後悔で眠れなかった。
翌朝、やっと、両者ともケガをしなくて幸いだった、と思い直した。運転ができなくなったら、足がないのと同じだ。世間と関わりを持ち続けたいなら、人様に迷惑をかけないよう運転を続けたい。これに懲りずに、恐れず、怯まず、しかし、以前の何倍も慎重に運転しよう。皆さまもどうか十分に気を付けて、運転して下さい。特に夜は。【萩野千鶴子】