この頃少しばかりいじれるようになったスマートフォンでフェイス・ブックに登録して、友人や親戚の近況を手軽に知ることができるようになった。フェイス・ブックの友達といっても、その友達のまた友達の知り合いで、見も知らぬ人のコメントを読むこともしばしばある。
 新年早々お互いにソーシャル・メディアをとおしての賀詞交換もフェイス・ブックならではというところだが、その中で、気になる年賀に出会った。「あけおめ ことよろ」である。
 順調にシニア世代に足を踏み入れているとはいえ、この暗号の意味するところが「あけましておめでとう。今年もよろしく」の略だというのはすぐに分かった。
 分かったところでこのシニアは腹が立った。何が「あけおめ ことよろ」だ。新玉の年明けを寿ぐのに、何が忙しくてこれほど短くせねばならぬのか、大和言葉を馬鹿にするにも程がある。この送信者が若いのか中年なのか、ティーン・エイジャーなのか私には分からないが、若者ならばなおさら、これから日本語を大切に引き継いでもらわねばならないわけだから、「あけおめ…」がかっこいいなんて思ってもらっては困る。
 英語の世界でも若者たちのメッセージの交換には両親に分かってもらっては困る内容にははなはだしい省略があり、それなりの辞書でも発行してもらわねばとても判読できないらしい。
 しかし日本語の新年のあいさつくらいまともにやってくださいよと言いたいわけ。
 第一ね、心がこもっていませんよ。言葉とは言霊、そこに霊がこもっているから意味も生じれば心も通じるというものだ。言霊の幸ふ国(ことだまのさきわうくに)とは日本のこと。
 ここまで書いて「婆あ、煩せえなァ」と後ろで言われそうな気がしたが、うるさくて結構。わたしゃ昔からうるさいんです。
 今朝は、幼児のための日本文化サークル「タンポポ会」の子供たちがクラスにやって来た。母親に催促されながら、多分、家で練習してきたらしく「アケマシテ、オメデトウ ゴザイマス」と3歳児があいさつして、ぴょこんと頭をさげてくれた。
 こうこなくっちゃ、これで私の「あけおめ…」への怒りも半分になりました。【川口加代子】

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