比嘉太郎は「海から豚―」の主人公で、豚のほか食料や衣料、医薬品など救援物資を送る救援活動を、出身地ハワイの沖縄系コミュニティーを起点に、同士に呼びかけ、支援の輪を全米そして中南米諸国に広げた中心人物だ。幼少時代を過ごした沖縄で身に付いた「ウチナー精神」が、その後の人格形成に与えた影響は大きく、戦後の沖縄救援運動のパワーの源だったに違いない。
当時の沖縄では、米軍に捕まれば殺されるという風評が立ち、それを信じ込み自決する住民も少なくなかった。自然壕(ガマ)に逃げ込んだ住民に、武器を持たずに投降を呼びかけた通訳兵の比嘉は、英語、日本語、ウチナー語(沖縄語)の3カ国語を駆使し、日本語の分からない人々には、ウチナー語で優しく語りかけ信頼を得て多くの人命を救った。その中には、比嘉の小学校時代の恩師も含まれていたという。
講演会は、サンゲーブリエルに住むウチナー親善大使で講演会実行委員長の上原民子さんが企画し、北米沖縄県人会や同志の協力を得て、開催の運びとなった。上原さんは「海から豚―」を原作にしたミュージカルを2004年にハワイで催し好評を博したことから、翌05年に追加公演としてトーレンスで昼夜2回にわたり開いた。
同じくウチナー親善大使で、沖縄県人会顧問の比嘉朝儀さんも同講演会の実行委の1人である。比嘉さんは、比嘉太郎が幼少期に暮らした中城村出身といい「講演を通し、沖縄の精神文化の中枢である『チムグクル(肝心)』、相手の立場になって物事を考える温かい心、戦争の恐ろしさ、命の尊さ、平和の大切さを学んでほしい。それを後世へ伝え、風化させてはいけない」と力説し、参加を促している。
下嶋さんは、比嘉太郎に関する執筆・講演活動など、20年前からプロジェクトを進めている。今回の講演会については「戦争や差別が続く今だからこそ、沖縄の救済運動から、比嘉太郎の精神が生かされる。比嘉太郎の業績とウチナー精神と(ウマンチューの宝)を学び、現代の社会に役立ててほしい」と願う。
ガーデナで講演
琉球伝統芸能の余興も
講演会は7月1日(日)午後2時から5時まで、ガーデナのケン・ナカオカ・センター(1670 W. 162nd St.)で開かれる。下嶋さんは日本語で話し、英語の通訳がつく。講演の合間にエンターテインメントとして、琉球祭國太鼓や琉球民謡などが披露される。さらに南米諸国の日系人に人気のミュージシャンで、アルゼンチン出身の沖縄系3世グース外間もゲスト出演する。司会は、沖縄出身の母を持ち、沖縄を舞台にした映画「カラテ・キッド2」に出演した女優タムリン・トミタさんが務める。
入場料は、寄付の10ドル。詳細は上原さんまで、電話213・680・2499。メール―
tamiko.uyehara102239@gmail.com
下嶋哲朗さんが呼びかけ
尋ね人と沖縄関連の資料提供を
太平洋戦争の時です。史上最悪の、と評される地上戦が戦われた島、沖縄の人々は泥にまみれ炎に焼かれて、絶望のどん底に沈みました。苦しみは戦後も長く続きました。そんな沖縄を救え、と立ち上がった人々がいました。みなさんやみなさんのご両親祖父母、すなわち一世、二世たちです。
それにしてもこの偉業にいまもなお、深い感動を覚えるのは一体どうしたことでしょう。思うに沖縄救済運動における壁を超えた人と人とのつながり、この平和の輪の輝きは、対立し、排除し、差別し、憎しみに満ちた今だからこそ、いっそう輝きを放つのでしょう。
かくいう私は沖縄救済運動の一つ、忘れられていたけれど今では知られる、米国から沖縄への豚輸送「海から豚がやってきた」の発掘者ということになっているのです。豚の調査の時、つくづく感じ入ったことはほかでもありません、救済運動の現代的な意義でした。この意義ゆえに私はこの運動についての研究を続けました。広く大きく人と人とが手をつないだこの運動の意義は、現在にそして未来へと伝承されていかねばならないはずです。なぜなら伝承とは、いつかふたたび花を咲かせる種子だからです。果たして今こそは「その時」ではないでしょうか。
私は関係者を探してインタビューし、資料を発掘してきました。とはいえバックアップのない個人の仕事ですから、ことに米本土そして中南米におけるそれは、思うようにならず焦るばかりです。でも時間は刻々と過ぎ去ります。たちまち20年が過去になったのでした。その間に関係者は静かに去り、資料は散逸してゆくのですが、それを私は口惜しい思いで見守るのでした。
読者のみなさん、私たちは祖先が蒔いた一粒の種子の子どもです。祖先の偉業を発掘し、今にそして後世に伝承するべく、尋ね人、資料の発見に、どうかご協力をお願いします。それはもしかするとあなたに近しい人かもしれず、資料はあなたの倉庫に眠っているかもしれないのです。
尋ね人は「北米沖縄県人史」そして比嘉太郎の本「ある二世の轍」などから分かる人名は以下です。(敬称略)
幸地新政(在米沖縄救援連盟会長)、仲村信義、屋嘉比三良(副会長)、吉里弘、仲栄直盛仁、兼次忠七郎、吉本成喜、屋部エミ(書記長)、平良トーコ、島松吉、比嘉隆、宮良長助(会計)、そして名前を記されなかった多くの関係者。
資料によると、中南米に立ち上がった数多くの救済運動、そして沖縄との間に、報告書や手紙などが、ひんぱんに交換されていたようです。彼の地における運動を知る上で、そうした資料をも探しています。
羅府新報気付でどんなささいな情報でも、また資料でもお寄せくださいますように。どうぞよろしく願いいたします。
下嶋哲郎