黒柳徹子さんの著書「トットの欠落帖」を読みながら、今から20余年前に黒柳さんと数時間ご一緒したことを思い出した。パートタイムで商工会議所の仕事を手伝っていた時のことだ。
「今年の新年会のゲストは黒柳徹子さんで、講演をお願いしているんですが、当日宿泊先から会場のホテルまで同行して控え室でお世話してもらえますか。黒柳さんはこの機会に、地元の日系人の歴史やコミュニティーのことを知りたいと言われるのでよろしく…」
ということで引き受けたが日系人社会の話はともかく、あまり気配りなどできない不器用な私にお世話など出来るだろうかと不安が先に立ったが黒柳さんは実に気さくな方で、戦時強制収容所からシカゴに転住した日系人がどのようにしてこの地に定住してコミュニティーを形成していったか、会場までの半時間ほど自分の知識のあるだけを話した。
「そうですか…、みなさんご苦労なさったんですね。日本にいた私たちには分かりませんものね」
私の拙い話にも真しに耳を傾けてくれた。
会場の控え室で準備をする黒柳さんに「何かお手伝いできることがあれば…」と訊ねたが、「私ね、なんでも自分で出来るのよ、ヘアスタイルだって、皆さん付き人だのマネジャーだのっておっしゃるけど、自分でやったほうが早いんですもの」早口でしゃべりながら化粧バッグを持ってバスルームに入ったと思うと、10分程でトレードマークのヘアをきちんとまとめて花柄のロングドレスで現れた。
「私ね、主催者さんにお願いしたんですよ。マネジャーを一人連れてくる予算がお有りでしたら、その分貧しいアフリカの子供たちを救う基金に寄付してくださいって」
彼女の講演を客席で聴く事はできなかったが、ユニセフの親善大使として、世界中の恵まれない子供たちに救いの手を差し伸べてくださいという黒柳さんの熱い訴えは舞台裏にも伝わってきた。
「トットの欠落帖」は彼女の勘違いや早とちりが起こす失敗談が集められているが、私が出会ったこの日の彼女からは何の欠落部分も見つからなかった。【川口加代子】