山火事で家2軒とレストランが全焼
「素晴らしい友だち、最高の思い出、そしてスーツケース2個、これから新たにスタートです」。カリフォルニア州北部ビュート郡の町パラダイスで11月8日に発生した山火事「キャンプ・ファイア(Camp Fire)」。カリフォルニア州史上最悪の山火事となった「キャンプ・ファイア」で被災したパラダイス在住の小島智代さん、成朗さん夫妻。避難生活を送る2人に現在の生活や今後の目標、そして愛するパラダイスへの思いなどを聞く第2話。【吉田純子】
打ち砕かれたかすかな期待
山火事発生後はパラダイスの町に戻れない状態が続き、自宅やレストランの状況は分からなかった。しかし間もなくしてパラダイス市の職員が撮影した自宅の写真を見て愕然とした。自宅もレストランもレンタルハウスもすべてが全焼していた。
「隣の家が燃え、自宅の庭に火が燃え移るのが見えた時、『これはいつもの火事ではない。ここまできたらうちだけ残ることはないし、戻っても来られないだろう』とは思いました。でも去る時はまだ家があったので、実際の写真を見るまではかすかな期待があったのです。『1軒くらい家かレストランでも残っていてくれたら』と。まさか何もなくなるとは思っていなかった。結局すべてが燃えてしまったのです」
オートバイ好きがきっかけで26年前に智代さんと成朗さんは知り合い翌年結婚。今年は結婚25周年と米国籍取得10周年が重なり夫妻にとっては記念すべき年だった。2年半かけて改築した夢の家も出来上がり、新たにオートバイ2台を買い足したところでもあった。「またいちから築き上げる気力はもう起きないと思いました」
現在、小島さん夫妻はトレーラーハウスを購入し、加州北部の町レッドブラフにあるRVパークで避難生活を送る。パラダイスから避難してきた人も多く、みんなで情報共有しているという。
町全体が焼失してしまったため、完全に町が元どおりになるには10年はかかると話す避難住民も。パラダイスには引退後の生活を送る人が多く、80代や90代の住民も多かった。「復旧に10年かかるのだったら、もう戻らないと言っている人も多い。でも私たちはいつか絶対に戻りたい。パラダイスがあったから今まで頑張ってこれたのです」
パラダイスへの思い
「何年かかっても戻りたい」
以前、加州サンルイスオビスポに住んでいた小島さん夫妻だったが、パラダイスに魅了され居を構えた。
パラダイスに日本食レストランを開店したのは2012年。開店前にオートバイ事故にあい、「これが最後のチャレンジ」と決意し開けた店だった。店はすぐに忙しくなり、地域住民から愛される存在になっていった。そして5年待って去年、ようやく念願だった場所に店を移転した。
従業員みんなが家族のようで、山火事後に迎えたサンクスギビングには創業当時からの従業員が避難先のモーテルまで尋ねて来てくれた。「みんながバラバラになってしまったのがとても寂しい。レストランの従業員みんなが私たちの家族。そんなみんなも辛い目にあってしまった。いつかまたみんなで再開したい。従業員のひとりはネバダ州リノに、またひとりはジョージア州に引っ越した。『あの日には戻れないんだな』と感じています」
今後の目標は、まずはレッドブラフで生活を始め、パラダイスに戻れるチャンスが巡って来たらすぐにでも戻り店を始めたいという。「まずはフードトラックでもいい。今住んでいるレッドブラフで、『Ikkyu Paradise』という名前で店を続けたい。そして誰かがそれを見た時、「あっ、Ikkyuだ!」と思ってもらいたい。そしていつかはパラダイスに戻りたい」と語る。
日本人の助け合いに感謝
日本食レストランを営む小島さんの元には被災後、すぐに日系の卸売会社の担当者からも連絡がきた。そして車の後部座席がいっぱいになる程、炊飯器や米などを積んでレッドブラフまで持って来てくれたという。
「日本人同士の助け合いにも感謝しています。今回のことで人の優しさ、『一人で生きているんじゃない』ということを感じました。結局命が一番大事。もし犬1匹でも置いてきてしまっていたら、もっと恐ろしい事態に陥り本当に後悔していたと思う。支えになってくれる存在があったからこそ頑張れる」と話す。
スーツケースひとつ単身渡米した智代さん。山火事で被災しすべてを失ったが、今、スーツケースはご主人の成朗さんの分も加わり2つだ。これからが新たなスタート。「こんな風には終わりたくない。創業当時からの従業員も私たちを待ってくれている。これからもたとえどこにいても、7周年、8周年と続けていきたい」と力を込めた。【写真=小島智代さん提供】
第1話はこちらから
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