改元と同様に日本にとって来年の大きなイベントは、アフリカ開発会議、G20、ラグビーワールドカップのホストの大役を務めること。自然災害に見舞われたが、復興を遂げているとし「日本にお越し下さい」と希望し、国際社会からの温かい支援に謝意を表した。
今年の話題として、安倍首相とトランプ大統領による日米の蜜月ぶり、前田投手のドジャースの2年連続ワールドシリーズ進出、大谷選手のア・リーグ新人王選出を列挙したが、最大イベントとして「ジャパン・ハウスの全館開館だ」と強調。マーク・タカノ下院議員や日本から河野太郎外務大臣をはじめ国会議員が出席した開館式典を催し「まだの方は、ぜひ来館を」と呼びかけた。
乾杯の音頭をとるジョージ・タケイさん
招待客の南加日米協会のダグ・アーバー会長は、1994年に天皇皇后両陛下が訪米された時に、同協会がビバリーヒルズで主催した歓迎会で、オフィシャル・フォトグラファーを務めた。タキシードを着用して臨み、加州知事とLA市長らが同席したVIP室で「両陛下はとても温かく迎えて下さり、とてもラッキーで光栄だった。話す機会もあったけど、崇拝しているのでためらった」と、心残りがあるという。
2007年には、東京の日米協会創設100周年記念式典で再び両陛下にお目見えすることになり、アーバー会長は初めて陛下と握手して感動したという。皇后さまからは、きれいな英語で「あなたは南カリフォルニア日米協会の会長ですね。2009年に100周年を祝うことを知っています。お知らせ下さい」と、思いがけない言葉をかけられ「とてもショックで、妻と夢を見ているようだった。最高の思い出」
オレンジ郡日系協会名誉会長の三宅明己さんは、昭和天皇の崩御の際に南加日商の会頭を務めていたことから、日系社会を代表する5人のうちの1人に選ばれ、大喪の礼に参列したという。三宅さんは米国で生まれ、日本で育ち教育を受けた帰米2世。第2次大戦中はユタ州の農園で過ごし、家族のいる敵国となった日本を案じた。二つの祖国の狭間で人生を翻弄されただけに「天皇陛下が亡くなり、激動の昭和が終わって悲しかった」
大正8年(1919年)生まれの三宅さんにとって、来年の改元は人生3度目、そして目標とする満100歳を迎えるため「記念すべき年になる」といい「次の天皇は代々受け継ぐ大和民族の魂を持っている」と、興奮した面持ちで話し、声を張り上げた。「天皇陛下、バンザーイ」【永田潤、写真も】