「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく」
 はや1月も終わるが、これからも何度も交わすだろうあいさつだ。
 日系人会、教会・仏教会、県人会などの諸団体が週末ごとに新年会を催すと、シアトルでは最後の新年会が3月初めとなることさえある。最初は驚いたが、今では長く続く新年交歓は楽しみでさえある。
 アメリカで初めて新年を迎えた頃は、別の意味で驚いたものだ。
 それまでは、年末から準備をして元旦以降は座り込んでご馳走を食べるという祝い方だったから、ニューイヤーズイブのパーティーで騒いで元旦は寝正月、1月2日からは仕事再開といったアメリカの正月は味気無く思えて。
 そこでわが家では、日本流の新年の祝い方を子供に教えることが始まった。
 まず年末に、大掃除のつもりでカーペットクリーニング。それが終わると料理の準備。夫の郷里・高知の正月は、大皿に盛った皿鉢(さわち)料理で祝う。子供のころ祖父の助手として皿鉢料理を作ったという夫の指導で、子供たちは鯖の姿ずしの作り方を習い、盛り付けも出来るようになった。元旦の食卓には、子供が盛り付けた大皿が何枚も並んだ。
 ところがある年の冬休みに子供たちを高知に送ったところ、「皿鉢は、おばあちゃんが仕出し屋さんに注文したよ」と驚いて帰ってきた。皿鉢料理を自宅で準備したのは、それよりひと昔もふた昔も前の、夫の思い出の中の正月だったわけだ。
 年月の経過とともに、日本の正月、高知の正月も変化する。しかし海外に出て来た私たちは、自分の知る限りの正月を子供に伝えようと努力し、結局、昭和の正月を伝えていたのだった。同じようにアメリカには、明治の正月を今に残す日系家庭もあるに違いない。
 近頃、親の介護で日米を頻繁に往復するようになると、日本の一層の変化に気づく。正月の華やいだ雰囲気も、平成最後の今ではせいぜい三が日まで。「おめでとう」のあいさつを交わす機会も少なくなった。
 だからこそ、アメリカに戻るとほっと一息つく。さあ、正月の雰囲気を日系コミュニティー内で長く楽しむとしよう。
 今年もどうぞよろしく。【楠瀬明子】

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