職場のプログラムに「日本語で話す会」というのがあり、ひと月に一度特に決まったテーマは無いが日本語を話す女性が4〜5人集まって、お茶を飲みながらいろいろな話をしたり、お互いに何やら相談し合ったり、和気あいあいの時間を過ごしている。
最高齢は常連のS子さんで92歳。いつ会っても身奇麗にしておられ、自宅から20〜30分の距離を1人でバスと徒歩でやって来る。
帰りは参加者の1人が必ず、車で送ってゆきましょうと声をかけるが、まず首を縦に振ったことがない。
「お天気は好いし、歩く方が体に良いから、娘が迎えに来るというのも断っているんですよ」とバスと徒歩で帰ってゆかれる。
「お元気ですね」と声をかけると「まあこんなものでしょうね。やはり歳ですからね、庭の草取りなんかは2〜3時間もすると疲れますよ」と答える。92歳でなくとも夏の庭掃除は疲れる。その上S子さんは広島で被爆され、白血病と一緒にこの歳まで生きてこられたのだ。ついこの間まで、請われるとニューヨークやミシガンまで被爆体験を話しに行っておられた。
「この病気に効く薬なんかないんですよ。仕方が無いわね」といいながら、被爆者であることを嘆いたり、愚痴ったりしたのを聞いたことが無い。
2年前に偶然同じバスに乗り合わせたときはシティカレッジで英語のクラスを取っている、ということだった。その前は、ピアノのクラスに通っていたこともある。
好奇心が旺盛で、学ぶことを楽しんでおられる。
数年前に、子供の時から病気がちだった息子さんを癌で亡くされたが、その時も「あの子はちょうど良い時に亡くなりましたよ。あれ以上苦しんだら可哀想ですもの」
逆縁の悲しみを乗り越えて、精いっぱい息子を看病してきた母親の、偽りの無い言葉である。
S子さんと知り合って48年になる。この人生の先輩に会うたびに、自分の甘えた気持ちを恥ずかしく思い、生き方を少しずつ軌道修正しているつもりの私である。【川口加代子】