7日の晩餐会には約450人が参列した。5年前から準備に取りかかった寺基移転50周年実行委員会は、地元の西本願寺系寺院の協力に謝意を伝え、三大記念事業①50年前に納められた内陣の総修復②仏法を学ぶダルマセンターの創設③老朽化した寺とその他の施設の修復―が完遂したことを発表した。
工費は100万ドルで68年10月に起工した。69年11月に落成慶賛法要を勤め、約2千人が参拝したという。創設70周年記念で76年に会館を新設、親鸞聖人像は生誕800年記念で寄贈された。その後に北側と西側の駐車場の土地を購入。100周年記念事業として、納骨堂を建立した。
8日の慶賛法要の前にメンバーら約500人と本堂を背に記念撮影に納まった門主は稚児行列に続き入堂し、地元の寺々から勢揃いした門徒の中央で法要を勤めた。
門主は、法要後に言葉を贈った。1905年に南加仏教会が創設されて以来、先人たちが念仏を拠り所として互いに支え合い、第2次世界大戦中の強制収容など幾多の苦難を経て、御教えを伝えてきたことに敬意を表した。今日の発展に導いた歴代の開教使やメンバーの労をねぎらい、先人の遺徳を偲びながら謝意を示した。メンバーの世代交代や日系社会の外へ向けた伝導体勢の確立などの取り組みを評価し「これからの時代においても日本とアメリカだけでなく世界各地で、浄土真宗の御教えは私たちの生きる支えとなる。別院や各仏教会でお参りする人だけでなく、仏教や浄土真宗にご縁のない人にも浄土真宗の御教えをご縁ある人に伝えてほしい」と願った。
1999年からほぼ10年間、同別院の輪番を務めた松林忠芳師は、50年前の移転に関わった数少ない門徒の1人。当時はベニス仏教会から出向き「元の寺から新しい寺へ仏具やお骨を運び、何遍も何遍も往復した」と振り返った。寺基の移転は、別院に好転をもたらしたことを強調。駐車場が増えたことで参拝しやすくなり、バルコニーまで席が埋まったという。70年代は年に約70組が挙式し、葬儀は檀家以外にも利用され年に120から150回も行われたという。会館の建設により、各県人会の集会や他の団体の年中行事、バスケットボールチームなどが利用し「移転したおかげで、コミュニティーとのつながりが強くなった。日系社会に支えられありがたい」と感謝する。
ブリオネス・ウィリアム第10代輪番は、50周年について「50年前の移転は、将来にとっていい方向に向かった。寺には立派な本堂ができ、納骨堂を加え、100周年記念を迎えることができた。移転後も50年にわたりコミュニティーのメンバーとボーイスカウトなどに寺を支えてもらい心が温まる思いがする」と述べた。同別院で仕えて18年、5年前に日系人以外で初めて輪番に昇格した。「20年前に仏教の学校で学んだ私が輪番として、この日のお勤めができることが信じられない。御門主さまを迎えてホストを務めることができ、たいへん光栄に思う」としみじみと語り、コミュニティーのために生涯、仏道に専心することを誓った。【永田潤、写真も】