門主と地元の西本願寺系の寺々から勢揃いした門徒を中央にメンバーら約500人が本堂を背に記念撮影に納まった
 本派本願寺羅府別院は寺基移転50周年で、京都から来米した大谷光淳・第25代門主の出向を受け7、8日の両日にわたり、ダルマセンターの開所式や祝賀晩餐会、慶讃法要などの記念行事を執り行った。
 7日の晩餐会には約450人が参列した。5年前から準備に取りかかった寺基移転50周年実行委員会は、地元の西本願寺系寺院の協力に謝意を伝え、三大記念事業①50年前に納められた内陣の総修復②仏法を学ぶダルマセンターの創設③老朽化した寺とその他の施設の修復―が完遂したことを発表した。

スライドショーで紹介した50年前に納められた内陣の修復前(左)と修復後
 移転の歴史をスライドショーで振り返った。日系1世の教徒のために創設された羅府別院の歴史は長く、小東京のヤマト・ホールで1905年に活動を開始。25年からの44年間は、一街とセントラル通りの角にある現在の全米日系人博物館旧館で教化活動を行い、31年に本山から正式に別院の昇格を許された。一街の拡幅工事を行うロサンゼルス市の都市計画で、別院の建物は取り壊されることになったため69、現在の所在地である半マイル東へと移転した。
 工費は100万ドルで68年10月に起工した。69年11月に落成慶賛法要を勤め、約2千人が参拝したという。創設70周年記念で76年に会館を新設、親鸞聖人像は生誕800年記念で寄贈された。その後に北側と西側の駐車場の土地を購入。100周年記念事業として、納骨堂を建立した。
慶賛法要のため本堂に入る大谷光淳門主(右)
 門主は滞米中、西海岸の各所を訪れる長距離移動をこなした。サンディエゴを含む南加の各寺院に加え、サンフランシスコとオレゴン、シアトル各地域に足を伸ばし計16カ寺を回り、多忙な日々を過ごしたという。各所で輪番や開教使の労ををねぎらい、檀家と面談した。
 8日の慶賛法要の前にメンバーら約500人と本堂を背に記念撮影に納まった門主は稚児行列に続き入堂し、地元の寺々から勢揃いした門徒の中央で法要を勤めた。
 門主は、法要後に言葉を贈った。1905年に南加仏教会が創設されて以来、先人たちが念仏を拠り所として互いに支え合い、第2次世界大戦中の強制収容など幾多の苦難を経て、御教えを伝えてきたことに敬意を表した。今日の発展に導いた歴代の開教使やメンバーの労をねぎらい、先人の遺徳を偲びながら謝意を示した。メンバーの世代交代や日系社会の外へ向けた伝導体勢の確立などの取り組みを評価し「これからの時代においても日本とアメリカだけでなく世界各地で、浄土真宗の御教えは私たちの生きる支えとなる。別院や各仏教会でお参りする人だけでなく、仏教や浄土真宗にご縁のない人にも浄土真宗の御教えをご縁ある人に伝えてほしい」と願った。
慶讃法要を修する大谷光淳門主
 「YBA(仏教青年会)」ジュニア部のメンバーとともに晩餐会に参加したタイラー・カワテさん(17)は、毎日曜に通うオックスナードの仏教会について「地域に唯一つしかない大切なお寺で、日系人社会の中枢をなしている」と説明する。別院の移転50周年について「お寺の規模が大きくなり、活動も活発になってよかったことだろう。御門主さまと一緒に集合写真を撮らせてもらい、とても光栄でいい思い出になった」と話した。
 1999年からほぼ10年間、同別院の輪番を務めた松林忠芳師は、50年前の移転に関わった数少ない門徒の1人。当時はベニス仏教会から出向き「元の寺から新しい寺へ仏具やお骨を運び、何遍も何遍も往復した」と振り返った。寺基の移転は、別院に好転をもたらしたことを強調。駐車場が増えたことで参拝しやすくなり、バルコニーまで席が埋まったという。70年代は年に約70組が挙式し、葬儀は檀家以外にも利用され年に120から150回も行われたという。会館の建設により、各県人会の集会や他の団体の年中行事、バスケットボールチームなどが利用し「移転したおかげで、コミュニティーとのつながりが強くなった。日系社会に支えられありがたい」と感謝する。 
寺基移転の50周年の慶讃法要が営まれる本堂に向うブリオネス・ウィリアム輪番(左)
 松林元輪番は、今月4日に息子のディーンさんを病気で亡くした。晩餐会の参加は見合わせたが、ディーンさんの壮絶な闘病に心を打たれ「どんなに辛くても(慶讃法要には)参らせてもらう」と強く心に決め、気丈に振る舞った。門主の「表白(法要前にその趣旨を仏前で読みあげる)」を聞いて50年前の移転時の慶讃法要を思い出したといい「お爺さま(第23代光照門主)と同じような法灯だった。3代続いて御門主さまにアメリカまで来てもらいありがたい」と話した。法要を終え「息子に背中を押された感じがする。息子もありがたく思っているだろう」と語った。
 ブリオネス・ウィリアム第10代輪番は、50周年について「50年前の移転は、将来にとっていい方向に向かった。寺には立派な本堂ができ、納骨堂を加え、100周年記念を迎えることができた。移転後も50年にわたりコミュニティーのメンバーとボーイスカウトなどに寺を支えてもらい心が温まる思いがする」と述べた。同別院で仕えて18年、5年前に日系人以外で初めて輪番に昇格した。「20年前に仏教の学校で学んだ私が輪番として、この日のお勤めができることが信じられない。御門主さまを迎えてホストを務めることができ、たいへん光栄に思う」としみじみと語り、コミュニティーのために生涯、仏道に専心することを誓った。【永田潤、写真も】
晴れ衣装に身を包んだかわいらしい稚児の行列

慶讃法要で大谷光淳門主の入堂を待つ参拝者

祝賀晩餐会で大谷光淳門主(左から3人目)を囲んで、記念写真に納まるYBAのメンバーら

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