会主の佐藤松豊美月師は美月会を主宰して5年目。新進気鋭の民謡師匠だ。第3回の「浴衣さらい」をこのほど、ガーデナのニューガーデナホテルで催し、12人の弟子が心を一つにした合奏と弾唄で、日頃の稽古の成果を発表した。
「本日のような浴衣さらいや温習会と呼ばれるものは日頃のお稽古の成果を表すもの。今日は自分の出身地の曲を唄う人も多いですよ」
全員でオープニング5曲を演奏したのに続いて個人弾唄(ひきうたい)の部。12人が入門の新しい順に一人ずつ登場した。
「郡上節」を弾いた樋田まゆみさんは岐阜県の出身。南加岐阜県人会の会長である。
「貝殻節」を弾いた三好健さんは「子どもの時に聞いたことを覚えていた。鳥取県は小さな県なのに、このような全国に有名な歌があって嬉しい」と話し、演奏を始めた。
佐賀県の民謡「岳の新太郎さん」を弾いたリー・シンディさんは「これはハンサムボーイへのラブレターの歌です」と言い、会場を笑わせた。
曲のいわれや意味を解説する佐藤松豊了さんの司会のおかげで、日本全国今昔の旅をする楽しさを味わう。東京で有名な「東京音頭」の発祥エピソードは面白い。もともとは「丸の内音頭」と呼ばれ、「銀座の呉服店が販売する揃いの浴衣を着ていないと参加できない」という宣伝企画だったそうだが、これが当たり3千人が揃いの浴衣で踊ったという記録があるそうだ。壮観だったにちがいない。
山下千秋さんが弾いた「ホレホレ節」はハワイで作られた珍しい日本民謡だ。「日本出るときゃひとりで出たが、今じゃ子もある、孫もある」と始まる。こちらに住まうわれわれが、「それ、私のことだ」と思える歌い出しである。
京都生まれの松豊美月師。中学生の時に祖父母の勧めで三味線を習った。
渡米後に三味線の音色に癒され、日本民謡佐藤松豊師に出会ったことで今の世界が開けたという。松豊師匠から民謡の普及を目指して弟子に伝えていくことを勧められた。
開演前の松豊美月師にこの日の会の見どころを尋ねると、「フィナーレの『新潟甚句』をぜひ聞いて欲しい」と言った。
新潟甚句は新潟の有名な祭りの曲で、木樽で作られた素朴な「樽太鼓」を演奏に用いる。樽太鼓を用いた調べが樽砧と呼ばれる。樽太鼓3人、踊り手3人、三味線、唄、囃子に笛。それぞれの持ち場にわかれ、息を合わせた演奏が行われた。「とっつきにくいと思われるかもしれないが、伝統文化が途切れないようにという松豊先生の教えに従い微力ながら頑張っています」という松豊美月師。悲しい唄や嫁いびりの唄すらもある。数え切れないほどの曲数。やってもやってもやり尽くせいない数の民謡があるそうだ。きっと埋もれてしまった名曲などもあることだろう。
日本に居てTVなどで紹介される民謡を見ていた時は各地のお国自慢や名物紹介という印象が強く、縁が薄い地域の民謡には興味が湧かないこともあったが、今、米国からこの民謡を見ると、日本人の文化が織りなす綾錦と感じる。海外に出てみて初めて見えるものがある。民謡伝承の意味は大きいと感じた。【長井智子、写真も】