後藤譲叡・総師範によると、榧本流錦龍会の吟風は、節を重視したり音楽に合わせたりする他の流派と異なり、漢詩(和歌も含め)本来の言葉の持つ意味を噛み締めるように表現するという。「それが、簡単なようでいて難しい」と、奥深さを強調する。
大会は吟詠に入る前に会詩を参加者全員で斉唱。第1部の会員吟詠、2部の国誠会の来賓吟詠、最後の3部で指導者吟詠が続いた。それぞれの朗々とした吟詠が、会場いっぱいに響き渡った。後藤総師範が説く、人の喜び、悲しみなどの感情や歴史、思想、教訓など、詩に込められた作者の思いや豊かな言葉の意味を最大限に表現。思い浮かべた情景を朗詠により描写し、聴衆に伝えた。
40年を超す吟歴の田村穂龍師範は、小東京タワーズの教室で16年間教えた後、自宅で教えている。7人いた生徒は日本帰国や他界して3人に減ったが「みんな85歳を超えるが頑張っている」と話す。詩吟の醍醐味は「遊び半分ではだめで、真面目な心を持ってやらないとできないところ」と説く。詩吟を止めてもいいと思っていたが、90代の先輩から「死ぬまでやれ」と鼓舞され心を入れ直した。
錦龍会については「今はみんなが年をとって会員が減って悲しいが、この会は吟友の輪を大切にするので、今日は久しぶりにみんなに会えて本当に楽しかった。このありがたさは詩吟をやっていてつくづく思う。詩吟をやっていなかったらもっと前に死んでいたかもしれない」と話した。
1部で舞台に上がった松元慧岳さんの詩吟歴は40年以上と長い。ウエストLAのソーテル通りで夫と経営していた日本食レストラン「天ぷらハウス」が忙しく、1979年からの10年間は詩吟を休んだ。店を畳んで引退した今は、時間に余裕ができ週に1、2回の稽古に励んでいる。詩吟のおもしろさは「音符がないので難しく、稽古しないと全然上達しないところ。詩吟は漢文で、日本や中国背景が浮かんでくるから楽しい。その点で歌と詩吟は違う」と語った。
森川会長は大会を振り返り、参加者の数がこれまでで最少だった点にふれ「それはしょうがないこと。でもみんな頑張り、大会に備えてよく練習したことが分かった。この人数では、今日の大会は上出来」とたたえた。また「国誠流の方々もに今年も来てもらって盛り上げてくれた。参加者が少なかったので本当にうれしい」と謝意を表した。
会員の中には、病気を押して参加したり、歩行が困難にもかかわらず杖をついて来たり、抱えられながらステージに上がる人もいて、詩吟に向き合う執念が感じられた。森川会長は、参加できる大会があるからこそ会員は練習に励むと言い、「体の動く間は、みんなで集まって吟詠大会を続けたい」と抱負を述べた。【永田潤、写真も】