羅府国誠流詩吟会のゲストとともに会詩を斉唱する錦龍会のメンバー
 創設15周年記念大会を春に催し盛大に祝った榧本流米国錦龍吟詠会(森川洸龍会長)は、秋季吟詠大会を9月22日、西羅府仏教会で催した。懇意にする羅府国誠流詩吟会から招いた5人と交流を深め、23吟士が日頃の稽古の成果を思う存分に発揮した。吟詠後の食事会は、和気あいあいと吟友との親睦を深めた。

あいさつに立ち「みんなで楽しく吟をやりましょう」と呼びかける森川洸龍会長
 森川会長があいさつに立ち「毎年こうやって集まって詩吟ができることはたいへん幸せなこと」と述べ、高齢や病気で参加できなかった吟友を思い遣りながら、会員同士が元気に顔を合わせることがでたことを喜んだ。後輩を育成してきたが、近年は会員数が減少傾向にあるという。だが「詩吟はすばらしい日本の伝統文化なので、今日はみんなで楽しく吟をやりましょう」と呼びかけた。
 後藤譲叡・総師範によると、榧本流錦龍会の吟風は、節を重視したり音楽に合わせたりする他の流派と異なり、漢詩(和歌も含め)本来の言葉の持つ意味を噛み締めるように表現するという。「それが、簡単なようでいて難しい」と、奥深さを強調する。
 大会は吟詠に入る前に会詩を参加者全員で斉唱。第1部の会員吟詠、2部の国誠会の来賓吟詠、最後の3部で指導者吟詠が続いた。それぞれの朗々とした吟詠が、会場いっぱいに響き渡った。後藤総師範が説く、人の喜び、悲しみなどの感情や歴史、思想、教訓など、詩に込められた作者の思いや豊かな言葉の意味を最大限に表現。思い浮かべた情景を朗詠により描写し、聴衆に伝えた。
 40年を超す吟歴の田村穂龍師範は、小東京タワーズの教室で16年間教えた後、自宅で教えている。7人いた生徒は日本帰国や他界して3人に減ったが「みんな85歳を超えるが頑張っている」と話す。詩吟の醍醐味は「遊び半分ではだめで、真面目な心を持ってやらないとできないところ」と説く。詩吟を止めてもいいと思っていたが、90代の先輩から「死ぬまでやれ」と鼓舞され心を入れ直した。
頼山陽作・天草の洋に泊すを吟じる田村穂龍師
 80歳になって声量が落ちたが、この日は生徒の時に習って以来、数十年ぶりに披露したという「天草の洋に泊す」を終始、張りのある声を響かせた。自身の故郷熊本を舞台にした詩で、作者の頼山陽が天草灘から舟で熊本に渡るときに大嵐に遭った時の様子を思い浮かべ吟じた。
 錦龍会については「今はみんなが年をとって会員が減って悲しいが、この会は吟友の輪を大切にするので、今日は久しぶりにみんなに会えて本当に楽しかった。このありがたさは詩吟をやっていてつくづく思う。詩吟をやっていなかったらもっと前に死んでいたかもしれない」と話した。
 1部で舞台に上がった松元慧岳さんの詩吟歴は40年以上と長い。ウエストLAのソーテル通りで夫と経営していた日本食レストラン「天ぷらハウス」が忙しく、1979年からの10年間は詩吟を休んだ。店を畳んで引退した今は、時間に余裕ができ週に1、2回の稽古に励んでいる。詩吟のおもしろさは「音符がないので難しく、稽古しないと全然上達しないところ。詩吟は漢文で、日本や中国背景が浮かんでくるから楽しい。その点で歌と詩吟は違う」と語った。
「声を出すのは楽しい」と話す松元慧岳さんの吟詠
 この日は、「阿嵎嶺」(頼山陽作)を吟じた。自身の出身地鹿児島の阿久根から台湾を臨んだ景色が目に見えてくるように朗詠した。練習不足だったため「声が割れて調子はいまいちだった」と感想を述べた。「年をとってからは、声が小さくなったが、声を出すのは楽しいので、楽しく詩吟をやっている。みんなも楽しいから続けていて、健康にもいいのでやっている」と話した。
 森川会長は大会を振り返り、参加者の数がこれまでで最少だった点にふれ「それはしょうがないこと。でもみんな頑張り、大会に備えてよく練習したことが分かった。この人数では、今日の大会は上出来」とたたえた。また「国誠流の方々もに今年も来てもらって盛り上げてくれた。参加者が少なかったので本当にうれしい」と謝意を表した。
 会員の中には、病気を押して参加したり、歩行が困難にもかかわらず杖をついて来たり、抱えられながらステージに上がる人もいて、詩吟に向き合う執念が感じられた。森川会長は、参加できる大会があるからこそ会員は練習に励むと言い、「体の動く間は、みんなで集まって吟詠大会を続けたい」と抱負を述べた。【永田潤、写真も】
ステージ上のフィッツジェラルド・ダグラス香さんの朗吟に聴き入る参加者

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