8階建てアパートの最上階のわが家のベランダにアゲハチョウが最初の卵を産んだのは何年前だったろう。初めはサンショウの鉢植えだった。本には、アゲハチョウはかんきつ類とサンショウに卵を産むとあった。面白半分に飼い始めたが、鉢はやがて丸裸に。散歩途上、サンショウやミカンの木を探して餌を調達した。ある日、突然に青虫たちが姿を消した。10日ほど過ぎたある日、部屋の中で黄色に黒まだらのアゲハチョウがひらひら羽ばたいている。「あっ、あの青虫がチョウになったのだ」なんとも言えない感動が背筋を貫いた。
 写真を何枚も撮り「さてどうするか」。「このまま室内に置くわけにはゆかないだろう。外へ放してやるしかないな」。妻は「えっ、もう?」とすっかり愛情が移っている。こんな問答の末、ベランダへ放した。チョウは一瞬戸惑ったように鉢植えに羽を休めたが思い切ったように飛び立った。名残を惜しむかのように周囲を飛び、やがて一旦大空へ飛び立つと下のキウイ畑の方へ飛び去った。「ああ、行っちゃったねえ…」とつぶやく妻の声が湿っぽかった。後日、書斎の扉の裏側に小さな抜け殻をみつけた。
 毎年アゲハは卵を産みに8階までやって来た。間もなくわが家は一駅離れた所へ移転した。するとなんとここでもアゲハの幼虫が見つかったのである。持ち込んだ鉢植えの卵が越冬したのだろうか。青虫の育つのは早く、鉢植えは見る間に裸になる。毎日散歩の範囲を拡げてはかんきつ類の葉を採集した。友人たちも協力してくれる。昨年は5匹がわが家から巣立った。
 ひと際大きい青虫は、なんとキッチンの流し下でさなぎに。ふ化したのは黒揚羽! なんとも美しい。妻は青虫たちを段ボール箱に移した。青虫たちは時期が来ると各々移動を始める。段ボール箱の中、テレビの画面、PCのコード、カーテンの裏とそれぞれ個性的だ。その場所が運命を決める。自然界でも蜘蛛や鳥の餌になったり、蜂の幼虫を産み付けられたりと、危険はいっぱいなのである。アゲハチョウは春から秋にかけて5〜6回卵を産んで世代を変える。晩秋の卵は越冬して春にふ化する。コロナ禍で外出自粛が続く中、今年はどんなチョウになるのだろう?【若尾龍彦】磁針

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