事業売却に合意した両社の幹部。左からケビン・フクヤマさん、ジョシュア・モーリーさん、ダグ・アイハラさんとトッド・ウエマツさん【写真=マリオ・レイエス】

 第二次世界大戦直後に小東京で創業し、75周年という節目を迎えたアイハラ保険代理店はこのたび、同じく日系の保険代理店J・モーリー・カンパニーに事業を売却することで合意したと発表した。
 アイハラ保険代理店は1946年5月1日、ルイス・アイハラさんによって小東京に設立された。多くの日系人と同様にルイスさんもまた、第二次世界大戦中に米国政府によって不当に強制収容所に収容された後、家族と共に南カリフォルニアに戻ってきていた。一家はガーデングローブに農場を持っていたが、幸いにも近所の人たちが管理してくれていたという。
 しかし、ルイスさんは農場を離れ、他の仕事を求めてロサンゼルスのダウンタウンにある小東京に移り住む。そして、オキシデンタル生命で、生命保険を販売する仕事を始めた。同社は早くも30年代から日系人などの有色人種に標準的な価格で保険を販売していた会社の一つであった。
 51年6月、ルイスさんは起業し、アイハラ保険代理店を設立した。生命保険と同じように戦前は保険会社から日系代理店に対する取引が制限されていた自動車保険や住宅保険の販売を開始した。「自動車や住宅保険の更新料は、父にとって安定した収入ではあったが、決してもうかるものではなかった」と振り返るのは、93年11月に父ルイスさんから家業を引き継いだダグさん。当時、自動車保険の年間保険料は100ドルにも満たなかったという。
 68年10月、店舗は1街とサンペドロ通りの角に完成した鹿島ビルに、最初のテナント一つとして移転した。当時は日系社会の経済力の向上に伴い、アイハラ保険代理店も着実に成長していた時期だった、ビジネスを展開する日本企業の存在感と共に、アイハラ保険代理店もその恩恵をいち早く受けることになった。米国でのビジネス進出には言葉や文化の壁が伴うため、日本企業は日本語を話すことができ、さらに文化を理解している日系の保険代理店を求めていたのである。ヤマハやスズキ自動車、エプソン、鹿島、パナソニックなどの大手日系企業が、次々と顧客になっていった。
 また、同代理店はビジネスの発展に伴って、日系損保協会の設立メンバーの一員としてリーダーシップを発揮。同協会は10社近くの日系代理店が結集し、それまで日系企業を鼻にもかけなかった米国の保険会社の目を引きつけた。ダグさんによると、多くの代理店の購買力と販売力があったからこそ、協会の会員は他では手に入らないような商品を販売する契約を結ぶことができたという。「当時、日本人に商品を販売してくれる保険会社を探すのは困難だったが、協会の購買力で多くの会員に門戸が開かれた」
 また、協会では会員同士がお互いのビジネスを尊重し、顧客や市場の奪い合いをすることがないよう、倫理的なガイドラインを定めていた。「日系コミュニティーには十分なビジネスのチャンスがあるという考えだった」とダグさんは説明する。
 2007年に創業者のルイス・アイハラさんが逝去したこともあり、経営を3代目に引き継ぐことを検討したものの、諸事情でうまくいかず、ダグさんは会社の売却を検討し、最終的にJ・モーリー社を選んだ。「お客さまのニーズに応えてくれると確信できる会社を探していた」と話すダグさんは、「J・モーリー社は最良の選択だったと思う。彼らは経営権を移行している間はアイハラ保険代理店の名前で仕事を続けることに同意してくれた。これは全ての関係者にとって理想的な結果だと思う。創立75周年を迎えた今、事業を売却するにはちょうど良い時期だった。亡くなった父もきっと同意してくれたはずだ」
 J・モーリー社は、1980年にジョン、ジャック、ジム兄弟によってセリトスに設立されたが、そのルーツは小東京にあった。彼らの祖父ブンガロウさんは、1907年に小東京で雑貨店を開き、父のジョージさんは戦争が始まるまでそこで働いていた。戦時中は、強制退去により、モーリー家は商売を畳むことになったという。
 80年の設立以降J・モーリー社は日系企業の中で最も古い歴史を持つヒロハタ保険代理店や、サンノゼのミネタ保険を買収するなど事業を拡大していく。2012年には、ジョンの息子であるジョシュア・モーリーさんが、曽祖父が経営していた雑貨店から徒歩圏内の小東京に移転。現在、社長に就任している。
 J・モーリー社社長のジョシュアさんは、アイハラ保険代理店買収に関し次のように述べている。「私はマイノリティーコミュニティーを存続させたい。1人ができることには限界があるが、私の父ジョンや、おじのジャックとジムは、コミュニティーの価値を私にたたき込んでくれた。75年にわたり、アイハラ家が日系社会に残した文化的な足跡を存続させる手伝いができることを光栄に思う。先人たちの偉業を守り成長させる。それが先人への義理であり弊社の務めである」【訳=砂岡泉】

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