不本意ながら、私は腎臓障害、糖尿病ほか、いろいろな病気とつき合っている。半年前にはがんの摘出手術もうけ、現在経過観察中の身だ。もはや70歳は「古来希(ま)れ」ではない時代だから、古希を過ぎたといえど私の年齢で病気がちなのは決してほめられたことではなさそうだ。
 私たちはおのれの健康状態について、五臓六腑すべてが完璧であることを理想とし、そうあることを望む。しかし、思うに、もしも病というものが人格的な意思を持つとすれば、彼らも自己を主張し、少しでも病気の勢力拡大をはかろうとするだろう。要するに、寿命とは、健康と病のせめぎ合いの中で決まるのではないだろうか。「病は気から」といわれる。私も同感だが、それも上記せめぎ合いの中でこちらを優位にするための戦術といえないだろうか。こちらが気力をなくしたら病気側の思うつぼだ。かといって気力だけで病は克服できるほど容易ではない。そこで私は思うのだが、病に対し、がむしゃらに力ずくで立ち向かうのではなく、最新医学を味方につけながら、上手に付き合うのが最良ではないだろうか。
 国際政治の用語に「戦略的互恵関係」という表現がある。これの意味するところは、ウイキペディアに掲載されている日本の外務省の解説として、「日中両国がアジアおよび世界に対して厳粛な責任を負うとの認識の下、アジアおよび世界に共に貢献する中で、お互い利益を得て共通利益を拡大し、日中関係を発展させることである」とある。なんとも難しい言いまわしだが、要するに、本心では好かんヤツと思っているのだが、諸般の事情で喧嘩するとまずいので、とりあえず仲良くやって行きましょう、くらいの意味だろう。この表現は、もともとは、小泉政権時に気まずくなった中国との関係改善に向け使われたものなのだそうだ。国際関係の上で、いかなる国とも無条件に良好な関係を築くのが建前だろうが、国益を担う外交上はそう簡単にゆかないのが現実のようだ。同様に、人と病の関係でも「戦略的互恵関係」というのもアリなのかもしれない。【河合将介】

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