1980年にリトル東京サービスセンター(LTSC)を創設したビル・ワタナベ所長が、今年6月の退職を前に、日系コミュニティーとともに成長したその32年間を振り返った。

今年6月に退職するLTSCのビル・ワタナベ所長

 創設以来、パイオニアセンターと同様に小東京の中心的存在として機能してきたLTSC。最初にオフィスを構えた日米文化会館が同年3月に建設されるまでの3カ月間、机1台、椅子数脚が置かれたユニオン教会の一室で、ワタナベ所長1人による業務が始まっていたことはあまり知られていない。
 それから32年。小東京の変貌とともに、LTSCも変化を遂げてきた。バイリンガル・ソーシャルワーカーの坂本安子さん、事務員のエブリン・ヨシムラさんと3人で本格的始動した業務も、今では100人のフルタイム、50人のパートタイムを抱えるまでに成長。支援するコミュニティーは日系にとどまらず、アジア系やヒスパニック系など幅広く、取り扱う事業もチャイルドケアや高齢者向け社会福祉から、低価格住宅の建設やコミュニティー開発など、計20に及ぶ。
 「コミュニティーの人たちからの信頼が、LTSCの成功と成長の秘訣なんじゃないかな」―。
 創設当初に掲げたスローガン「信頼される堅実なサービス提供団体になる」を目指し、時には「起業家」としてリスクに立ち向かい、その方向性を忠実に守ってきた。「今のLTSCがあるのは、その結果」と振り返る。
 LTSCが取り組んできた多くの事業の中でも特に、骨髄移植を待つアジア系やさまざまな人種背景を持つマイノリティー患者のため、ドナー登録を呼びかける「A3M」と、低価格住宅事業が心に残っているという。「待ちに待った骨髄マッチが見つかった時の患者さんの満面の笑み、また、低価格住宅の建設後、新居に引っ越す家族の喜ぶ顔を見た時、この仕事をしてきて本当に良かったと思う」
 この32年間、LTSCは常に「今コミュニティーに必要なことは」「コミュニティーにとって最善策は何か」を念頭に、各プロジェクトに取り組んできた。その意識は、LTSCに勤める全員の気持ちであり、ワタナベ所長が去った後も変わらないと同氏は言い切る。
 LTSCでの仕事をこよなく愛し、「最期はオフィスの机で迎えると思っていた」。そんな気持ちに変化が表れたのは、昨年の独立記念日。「友人らとマンモスレイクへ旅行に行った時、連休明けに仕事に戻ろうとする私に向かって友人が、『ビル、リタイアしたら僕らとここに残れるんだよ』と言ったんだ。66歳でソーシャルセキュリティーをもらいはじめ、徐々に世代交代を意識するようになった」
昨年8月にキャピタル・キャンペーンを開始したロサンゼルス武道館事業(写真=LTSC提供)

 次の人材は十分に育っていると胸を張る。「僕が明日オフィスを去っても、LTSCは何の問題なく機能する。ここには有能なスタッフがそろっているから」
 退職時期を6月としたのには、昨年8月にキャピタル・キャンペーンを開始したロサンゼルス武道館事業を後任に引き継ぐため。94年からエグゼクティブ・ディレクターとして指揮をとってきたが、「前任がいつまでも口を出していると、次の世代が育たない」と、引き継ぎ後は後任にすべてを任せると言い切る。
 32年間を振り返り、「コミュニティーに仕え、困っている人を助けるという共通のビジョンを分かち合いながら、素晴らしい仲間と仕事ができたことを幸せに思う」。
 退職を5カ月後に控え、「これから新たな扉を開ける卒業間近の大学生の気分」。リタイア後はしばらくゆっくりと旅行などを楽しむ予定だが、家族同然の日系コミュニティーには今後もかかわっていくつもりだ。
【中村良子、写真も】

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