9月14日、国産固体燃料ロケット「イプシロン」の打上げが成功。現地には2万人もの人が集まり、全国の学校では多くの子供たちがその瞬間を見守った。子供たちの興奮がテレビ画面から溢れ出す。宇宙は限りない夢をかき立て、彼らの受けた感動は一生続く。
 この経験で多くの子供たちが創造性を発揮する日が来るだろう。私も小学校時代、アルミ製鉛筆キャップにセルロイドを詰めたミニロケットで遊び、中学では友人と共に黒色火薬ロケットと発射台を作り飛ばした経験がある。
 宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」の主人公の上司・黒川のイメージは糸川博士にオーバーラップする。1952年に打ち上げられたペンシルロケットのニュースは、敗戦7年後の日本国民に大きな誇りと希望をもたらした。
 糸川博士は大学を退官された後もあらゆることに興味を持ち、一生少年のように未知のものに対する興味と情熱を失わなかった人である。音響工学的見地から半世紀をかけて作り上げたバイオリン・ヒデオイトカワ号について書かれた「八十歳のアリア」はその一つの証拠であろう。終戦7年後のロケット開発は彼ならではの偉業であった。
 その後の国産ロケットは、ベビーロケット、カッパロケットと進化し、70年にはラムダロケット4型機で最初の国産人工衛星「おおすみ」誕生へとつながった。77年には世界で3番目の静止衛星「きく2号」を達成、日本の衛星技術が国際水準に達した瞬間である。
 その後もミューロケット、H-Ⅰ(ハレー彗星探査衛星)、H-Ⅱ(2トンの静止衛星)、H-ⅡA(宇宙ステーションへの補給物資輸送)と開発は続いた。やがて宇宙ロケットは「再使用型宇宙輸送システム」を目指すと共に、国をあげての輸出商品として注目を浴びることになる。
 このたびの「イプシロン」は、信頼性と共に徹底的に効率化・省力化でコストダウンを狙った輸出品用ロケット開発である。8月27日の打ち上げ中止は残念であったが、制御技術を見直すには絶好の機会となったに違いない。さらなる信頼性を増したとして今回の成功を心から祝いたい。【若尾龍彦】

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