長年捨てられずにいる古いTシャツがあります。1997と書いてあり、英国の旗が中国の旗に塗り替えられようとしているデザインです。
1980年代中頃に香港島のアパートメントに住んでいたときに買い求めたものでした。窓の外には九龍側の夜景が望める眺めの良い部屋でした。近くには日系のデパートがあったので、食には不便をしなかったものの、日系の駐在員の方たちとの外食の時が日本語を話せるひと時でした。そして片言の広東語と拙い英語を覚えたのも、ここ香港でした。
インターネットやパソコンなども存在していなかったので、情報は交わる人々から学び取ったものでした。香港の人々との交流の中から、この国が急激に発展していくだろう勢いや、時代の匂いを感じたものでした。
一方で中国への返還を約10年後に迎えていましたので、国の体制がどのように変わるか、不安に感じる人の中にはカナダへの移住をしようと考える人も多くいました。英国からの香港返還の年1997が、この時代の香港を象徴する数字となって当時香港に居住する人々の脳裏にこびりついていました。
この時代の彼らは英国人でもなく、中国人でもなく、自分たちのことを香港人(ホンコン・ピープル)と胸を張って言っていたことを思い出します。
そして四分の一世紀前の私たち夫婦のお気に入りの場所は、香港島の夜景が見渡せるホテルのカフェでした。夜になるとロビーに入ったとたんにジャズの音が響き渡って、広く見渡せるビクトリア湾にはさまざまな国の船が通り、高層の建築物にはネオンが輝きを放っていました。
そして現在でも人々の活気は衰えず、かつての住居も屋上の巨大な看板は付け替えられていましたが、そのまま健在でした。国が変わってもホテルも景色も、おもてなしもそのままに、私たちをこころよく迎え入れ、25年の銀婚を祝ってくれているかのようでした。金婚を迎えるまでにこの国がどのように変わるのかは想像がつきませんが、すくなくとも、私たちを香港に引き付ける魅力は変わらないに違いありません。【朝倉巨瑞】