稲は偉い! とかねがね思っている。おいしいお米を産んでくれるだけでも偉い上に人間にたくさんの恩恵をもたらしてくれている。
 稲は、お米をとった後、乾かして藁になる。長くなえば、縄になる。わらじにもなる。なくてはならない神社の注連縄となり、一般人のお正月の注連飾りとなる。浮浪の人には欠かせない温かい筵(むしろ)にもなる。
 お米をとった後のもみは、土壌改良剤ともなり、土の水はけをよくし、時に食べ物に混ぜて、家畜のえさとなる。そして、藁やもみを燃やした後の灰は、灰汁抜きに欠かせず、土にもまく。虎は死んで皮を残すというけれど、稲は生まれてから死ぬまで、死んだ後も、世のため人のため地球のためになっている。
 過日、テレビを見ていたら雪国の納豆作りをやっていて、またまた稲の偉さを再確認したのだ。多くの日本人の食生活に欠かせない納豆。稲藁(わら)に自然の納豆菌が含まれていることは分っていたので、柔らかく茹でた大豆を稲藁で包むだけで納豆ができることは知っていたが、稲藁をどう使うかというと、稲藁には当然のことながら納豆菌の他にさまざまな雑菌も生息しているため、藁を煮て煮沸消毒してから納豆に使うそうだ。ところが納豆菌は熱に強く、煮沸にも負けずに生き残る、これを偉いと言わずしてなんと言うか。稲藁と納豆菌よ、ありがとう。
 棚田、いわゆる段々畑は実に美しい日本の風景だ。棚田の風景を見ていると、言うに言われぬ美しさとはこのことかと飽きることがない。それは人間が作ったものだから偉いのは人間だなどと言うなかれ、人間と稲が実に偉いのだ。
 そして棚田は、美しいだけでなく天然のダムともいわれる。水を湛(たた)え水をはき出す。水田では、泥鰌(どじょう)が遊び、タニシが育つ。カエルが鳴く。朱鷺(とき)だって農薬を減らした水田には戻って来たのだ。
 TPPの行く末はまだよく見通せないが日本の米を守れと声を大にして言いたい。今の日本人は昔と比べてお米を食べなくなっているのは承知しているが、日本の食を守れ、自然と風景を守れ、と言いたい。伝統などと言わない。伝統のための伝統は嫌いだが、受け継ぐ技術、これがいい。素晴らしいのだ。【半田俊夫】

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