『NO-NO BOY』(ジョン・オカダ著)の再日本語訳版が、昨年暮れ出版された。舞台となったシアトルでは今月半ば、地元北米報知社の主催で翻訳者川井龍介さんの講演会が催された。
 ノーノー・ボーイとは、読者の多くが知るように、第二次大戦中の日系人収容所でアメリカへの忠誠心と従軍意思を問う質問のいずれにもノーと答えた者を指す。小説『NO-NO BOY』は、終戦の翌年シアトルに戻って来た二世青年イチローを描いた作品だ。
 自身は収容所から志願して戦場へ赴いたジョン・オカダは、ワシントン大学とコロンビア大学に学び、働きながら小説家を目指した。しかし、1971年に47歳で急死するまでに発表したのは、1957年に1500部発行されたこの1作のみ。
 この作品が中国系アメリカ人作家らの目に留まり、アジア系アメリカ文学の傑作と評価されるようになったのは、1970年代後半のことだ。やがて作品はワシントン大学出版から再出版され、これまでに15万部を超えるロングセラーとなっている。
 日本でも一度、1979年に日本語訳が出版された。しかしそれがほぼ絶版となって今回、在米日系人史に関心の深い川井さんによる再度の日本語訳となった。
 「素晴らしい戦争文学、青春文学だと思いました」と川井さん。最初はノンフィクションとしてジョン・オカダを書こうと取材を始めただけに、再度の日本語訳にあたっては、在シアトルのジョン・オカダ研究者たちと緊密に連絡をとり、現地調査も重ねて出版にこぎつけた。
 しかし、翻訳にあたって必要なのは考証だけではないとも語る。「会話を訳すにも、登場人物について自分の中でイメージが出来上がって初めて、多様な日本語の中から適切な言葉を選べるのです」
 戦時中の強制収容は日系コミュニティーを精神的に分断し、終わってなお、身体や心に大きな傷を負った若者たちを生み出した。非アメリカ人と烙印を押されたように感じるイチローの苦悩は深い。が、友人の一人はそんなイチローに「あなたの犯した間違いは、国が犯した間違いほど大きくない」と語る。差別の中に見えてくる希望等、多くを考えさせられる作品だ。【楠瀬明子】

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