折り鶴を供えて、かつての日系漁村に思いをはせる追悼の日の式典参加者

 大統領令9066号の発令から84年となる2月19日、サンペドロのターミナル島記念碑前で「追悼の日(Day of Remembrance)」の式典が開かれた。かつて日系の漁村が築かれた同地で、強制収容の歴史を振り返り、現在の社会状況とのつながりを考える場となった。

 式典は「ハーバーエリア・ピースパトロール」と小東京の市民団体「日系プログレッシブス」の共催で行われた。ピースパトロールは、南カリフォルニアでの移民摘発を監視するため昨年結成された団体。ターミナル島の沿岸警備隊施設は一時、移民税関捜査局(ICE)の拠点として使用されていたが、式典の直前に撤退したという。同団体の共同創設者でサンペドロ在住の教師マヤ・スズキ・ダニエルズさんは、祖父が第2次世界大戦中に従軍する一方で、その家族は適正手続きを経ずに収容された事実に触れ、「歴史は個人の中にも刻まれている」と語った。

ターミナル島民会のティム・ユウジ・ヤマモトさん(手前)とテリー・ハラさん

 日系プログレッシブスのエイミー・オバさんは、戦時中の日系人の扱いと現在の移民拘束政策の類似性を指摘。いずれも1798年制定の敵性外国人法が根拠として用いられているとし、当時日系人が収容されたテキサス州フォートブリスが現在は移民収容施設として使われている現状に言及した。また、日系人は権利回復運動を通じて1988年に謝罪と2万ドルの補償を勝ち取ったと強調した。オバさんは1月、レイチェル・マドーが司会を務めるMS NOWの番組「バーン・オーダー」にパネリストとして出演し、過去と現在の移民収容をテーマに議論した。

 島民会のテリー・ハラ会長は祖父が缶詰工場の監督であり、父と2人の叔父がターミナル島で商業漁業に従事していたこと、1世の漁師たちが漁から戻る途中で拘束された事例が多かったことを紹介。戦後、住民たちの島への帰還はかなわず南カリフォルニア各地に移住したが、団体活動を通じて歴史と文化を次世代に伝えてきたと述べた。

 さらに、ハラさんとティム・ユウジ・ヤマモトさんは、昨年ロサンゼルス市の歴史文化記念物に指定されたツナ通りの2棟の建物の保存活動について説明した。ヤマモトさんの祖父はその一つで食料品店を営んでいたという。

 最後に、サンペドロ合同メソジスト教会のジュシュア・ヨシ・クラモト牧師が祈りをささげ、参加者は平和の象徴である折り鶴を折って記念碑に供えた。世代を超えた参加者が静かに歴史と向き合う一日となった。

 ターミナル島の記念碑(1124 S. Seaside Ave.)は2002年に建立されたもので、2人の1世漁師の像と鳥居、そして約3千人が暮らしていたターミナル島の日系漁村の歴史を伝えるパネルも含まれている。1942年に住民が一斉に拘束・収容された後、海軍によって取り壊され、復興することのなかったコミュニティーのかつての繁栄を伝えている。(JK・ヤマモト、写真も)

折り方を習いながら鶴を折る参加者

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