フェイスブック(FB)というソーシャルネットワークサービス(SNS)は上手に利用すれば情報交換の便利な道具である。未知の人を探している時、FBで検索してみると、その人に突き当たることがある。FBは本人が発信しているから、友人レベルの情報が赤の他人にもわかる。名前だけで、この広い世界で個人を探し出せるのだから、凄いことでもあるし、怖いことでもある。ITのおかげで誰でも、どこからでも、世界に向け発信できる。以前には考えられなかったことだ。それがFBが創られた当初の目的であるが、万人が万人とつながる別世界になった。
 春は桜見物に米国からも日本旅行をする人が多い。桜に特別の思い入れがある日本人には、個人撮影された写真は、絵葉書やコマーシャルサイトで見る加工されすぎ、非現実的な写真より、親しみが持てる。見たくても帰れないものの渇望を癒してくれる。少しの想像力があれば、どんな雰囲気で、どんな天候で、どんな喧騒で、どんな香りが漂う時の桜風景なのか、疑似体験できる。投稿した人は、そのあまりの美しさを自分一人の目の中に焼きつけるだけではもったいないと、溢れる感動を分けて下さっている。ありがたいことだ。
 と同時に、便利な道具は使い方によっては、他人を不快にしたり、危害を加えたりする道具にもなる。今、殺人や、自殺現場を投稿する衝撃的な事件も起こった。
 最近、SNSを見すぎると、鬱(うつ)になるから、気をつけなさいと忠告されている。他人の楽しいバケーション姿や幸せそうな家族写真を見ると、そうではない自分の境遇と比較し、うつになってしまう人が多いとか。家庭内のいさかい、仕事の失敗など誰も投稿するわけがない。しかし、それらが現実のわれわれの日常なのは知っての通りだ。ただ、言わないだけだ。
 明るい表の情報の裏にある暗い現実を見通す目を持ちながら、有益な体験を善意で発信する人の面白いFBを楽しみたい。最低限度の個人情報を守りながらも、今や世界に向けて全てをオープンにする、これが社会との新しい関わり方なのかもしれない。【萩野千鶴子】

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