8月8日、翁長沖縄知事が急逝。9日には沖縄県民栄誉賞を受賞した安室奈美恵さんもホームページに弔意コメントを発表した。
翁長知事は元々保守政治家、1985年から2014年まで自民党に所属し那覇市議、沖縄県議、那覇市長を歴任し、当初より辺野古移設に賛成していた。自民党県連幹事長も務めたが、2013年1月に那覇市長としてオスプレイ配備撤回を求める銀座のパレードで、「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」と罵声を浴びせられ、自民党を離れ「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて知事選に出馬。以来、基地撤去を掲げて政府と対立した。
沖縄は地勢上、古くから中国や日本・薩摩藩からの過酷な要求に苦しめられた。戦前・戦後を通じて多くの島民が、海外に新天地を求めて移住した。
太平洋戦末期、沖縄は最後の激戦地となった。沖縄に打ち込まれた銃・砲弾は鉄の暴風と表現され、上陸前に地形が変わるほどの艦砲射撃や爆撃が行われた。日本側の死者・行方不明者は約20万人、沖縄出身者12万2千人、うち民間人は9万4千人で、県民の約2割が犠牲となった。
戦後も米軍はアジアの重要な軍事拠点として土地を強制収容、現在も米軍基地は沖縄に7割が集中している。政府は多額の沖縄振興資金などを支出してきたが、沖縄県民の「どうして私たちばかりが犠牲にならねばならないのか」という思いは強い。戦後の窮乏生活は全国どこも大変だったが、周囲が同じなら人間は我慢しやすい。人の幸・不幸感は比較から生じる。
昭和天皇は沖縄訪問の希望を果たせず、その遺志を継いだ今上天皇は皇太子時代から11回訪問されている。火炎瓶事件後「(沖縄戦などで)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人、深い内省のうちにあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と述べられた。普段沖縄の犠牲を忘れがちな私たち、県知事選を前に故・翁長知事をはじめ沖縄県民もこの寄り添う気持ちを一番求めているに違いない。【若尾龍彦】