NHKが日系人俳優のジョージ・タケイをナレーターにした日系強制収容所のドキュメンタリーを制作したり、民放テレビ局が日系人を題材にしたドラマを作ったり、日本では日系人を扱った番組が目立っている。
こうしたテレビの影響もあってか、今年のマンザナーでの追悼式典には日本企業関係者数十人が参加した。日本人観光客向けのマンザナー・ツアーも組まれている。
式典には在サンフランシスコ総領事も参加し、日英両国語であいさつした。
このあとマイクの前に立った式典主催者の日系女性は、集まった2000人の参加者にこう語りかけた。
「ここ、マンザナーで聞く日本語ってなんてビューティフル(美しい、すばらしい、すてき)なんでしょう」
その日系の女性はこう続けた。「辛い収容生活で家族の中からは日本語なんか喋りたくない、日本語を学ぶのはまっぴらだ、というものもいました」
その日本語を彼女はマンザナーの地で聞き、かつて祖父母たちが話していた日本語を思い出したのだろう。それが幼い頃、収容生活で味わった記憶をビューティフルに蘇らせてくれたのだろう。
強制収容所に入れられた一世にとって、日本語は間違いなく「母語」(mother tongue)だった。だが、それは「(母)国語」(national language)ではなかった。
「母語」と「(母)国語」−−−。
米政治学者、ベネディクト・アンダーソン博士は、著書『Imagined Communities』の中でこう指摘している。
「『(母)国語』とは、いくつかの歴史的条件が重なって生まれたものだ。それでいて、いったん『(母)国語』が生まれると、それがあたかも自分たちの民族性の表れだと信じ込まされてきた」
漢文圏のなかの一現地語にすぎなかった「母語」。それがなぜ、〈書き言葉〉としての「(母)国語」、つまり日本語になりえたのか。「ひとえに漢文化のおかげだ」と文学者の水村美苗氏は指摘している。
日系人のマンザナー巡礼はこれからも続くだろう。その時、日系人(そして日本人)は「母語」でレクイエムを奏で続けるのだろうか。【高濱 賛】