随分と久しぶりに青森駅に降り立ちました。以前訪れたときには吹雪が強くて、雪の中にザクザクと足を踏み入れながら急いで駅前にあった屋内の市場に逃げ込んだことを思い出しました。今では新幹線で簡単に北海道に渡れるようになりましたが、子供の頃にはここから青函連絡船に乗って函館に渡った記憶がよみがえり、吹きさらす北風の強さに、はるばる北の地まで来たことを思い知らされました。
 港に面した青い海公園には、「赤い絲のモニュメント」という海の方面を向いた二人の男女の子供の像が立っています。足には赤い絲がくくりつけられており、太宰治の文章の一節が刻まれていました。「秋の初めの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋を出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら、赤い絲について話合つた。私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである。」(太宰治『思ひ出』抜粋)
 太宰治は北津軽で生まれ育ちました。その青年時代の淡い恋愛感情や家族との思い出をつづる短編の文章には、作家への志に至る思いや、空回りする自意識など、太宰文学らしさがちりばめられています。心の内側の微妙な感情を受け取るには、津軽の土地でこそ、その味わいに浸れるような気がしました。青森を代表する豪快で荒々しいねぶたの表情の裏側には、繊細な感情が幾重にも組み込まれているような気がして、この地を訪ねるとなぜか無口になってしまいます。そして蜜のたっぷり詰まったシャキシャキのリンゴをいただいて食べた時には、暖かく幸せな気分になりました。はたして故郷とはそんなものなのかもしれません。
 八甲田丸の船を望む港には、津軽海峡冬景色の歌謡碑がありました。その碑の前に立つと、自動的に石川さゆりさんの歌が流れ出しました。「上野発の夜行列車おりた時から、青森駅は雪の中…」不意に流れ出した昔の流行歌に、自分の今の感情とは少し違うかなと思いながらも、頭の中ではこの歌がリフレインされていました。【朝倉巨瑞】

Leave a comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です